映画:ピンクフラミンゴ/ポジティブ下品ピュア/マイノリティ?

amazon ASIN-B0014R2646ジョン・ウォーターズが監督したピンク・フラミンゴ (1972/米)を観た。この監督は”filthy”なる「汚い、不潔、下品な、卑猥な、卑劣な」などの意味を持つ単語で表されるような悪趣味で下品な作風のカルト映画で有名で、特にこの作品は「史上最低の悪趣味映画」として彼の名声を高めることになったらしい。
お尋ね者となった巨漢で強烈な化粧と髪型の主人公(パッケージの人)は、何時もベビーベッドで卵ばかり食べている母と、覗きが趣味の同居人と、変態プレイ好きな息子と、郊外のトレーラーハウスに隠れ住んでいた。
しかし彼女が「世界でもっともお下劣な人間」としてタブロイド紙に報道されると、我々こそ「世界でもっともお下劣な人間」だと自負する露出狂の夫とドSの妻がその称号に嫉妬して彼女からその座を奪うべく彼女たちに襲いかかる。
かくして「世界でもっともお下劣な人間」の座を巡ったお下劣な攻防が勃発するのであった。と言う感じのストーリーである。


初めてこの映画を観たのだが、どうやら私が観たDVDはノーカットの無修正版らしく中々エグい事になっていた。
最初の方は時々ボカシがあるのである程度安心して観られるけど、突然素のままのエグい映像が飛び込んできてビックリである。
一応ボカシがあるシーンもあるのやけど、そこに無くていいのか?と首をひねるシーンが多い。というかボカシの意味ほとんど無いやん。
最高に下品やとか悪趣味やとか、最低映画とか言われるように、確かにこの映画は下品で悪趣味で最低である事には間違いないと思う。
それでも不思議と嫌悪感を抱いたり拒否反応を示したりせずに楽しく見る事が出来たのは、映画内に漂っている妙に明るいテンションと楽しげな雰囲気のおかげだろう。題材とやってる事は確かに下品で悪趣味やけど、全体としてはそれほど下品でも悪趣味でもないように思う。
あまりにも純粋なエネルギーに満ち溢れた下品さは下品とは又違う属性を帯び始めるような気がするのだ。
下品とか悪趣味とかいうのはどちらかとネガティブな概念やけど、それを思いっきりポジティブに表現されるとそういうものとして見えてくるから不思議である。
題材とやってる事が上品で良い趣味でも、どうしようもなく下品で悪趣味な映画などいくらでもある。そのあたりは人間のあり方と同じやし、この映画より下品で悪趣味な奴はいくらでもいるだろう。
聖なるものの存在を理解せず、天上の物を地上以下に引き下ろし、それらを下卑た物差しで計り、下卑た目的に使おうとする行為こそ本当に下品で悪趣味なものであろうし、そういったものは正視し続ける事すら出来ないものであろう。
自分に害が及んでこない限り、下品なことを下品なこととして誇りを持って楽しくやっている事を見ているのはとても楽しい。
そういう意味でこの映画は、ちょっとしたアート系の人たちが「この映画ってば最高に下品」と言いやすいポジションにある映画なのだろう。
この映画はfilthyであるだけでなく、登場人物たちの着ている服とか化粧とか髪型は結構良い感じやし、「たまごマン」に恋する卵好きの母親の可愛らしさはちょっと他に類を見ないし、「世界でもっともお下劣な人間」の称号を奪おうとする夫婦の家に乗り込んだ主人公親子が報復のために家中を舐め回すシーンはあまりにも訳がわからなくてあまりにもバカでとても大好きである。
監督のジョン・ウォーターズは保守的な街の裕福なカトリックの家庭で育ち、自分がゲイで問題児でまったく周りに理解されないことに苦しみ続けたことが、彼の人格形成に大きな影響を及ぼしており、この映画はそういったマイノリティーがマイノリティーなりの怒りとか不満を爆発させているのだ。ってな感じの事がどこかのサイトに書いてあったけど、そういった怒りや不満といったネガティブの面よりも、むしろ自分たちがマイノリティーであることをポジティブに捉えて振舞える開放感とエネルギーに満ち溢れているように見えた。
ということで、マイノリティーを嫌う人にとっては意味も面白さの欠片も無いやろうけど、ちょっと自分がマイノリティーであることを感じている人にとってはなんとも爽快感に溢れた映画であろう。と思った。

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