映画:パゾリーニ「デカメロン」 / ほのぼの系イタリアンエロ / やっぱりラブユー貧乏臭い

amazon ASIN-B0000844EN「ソドムの市」と「王女メディア」を観て「わかった!パゾリーニってのは貧乏臭いんや!」というファンに怒られそうな結論になった。と先日このブログ書いたのだが、ついついなんとなく出来心で彼の「生の三部作」と呼ばれて世界的にヒットしたらしい「デカメロン」を観た。
一応、原作はイタリア・ルネッサンスの名作であるボッカチオの『デカメロン』であるけど、原作の100ある話の内のいくつかが、この映画内でオムニバス形式として映画化されているという事になろうか。
パゾリーニの映画ということでそんなに期待せずに見たのだが、意外に面白かった。
「ソドムの市」ほどの一方的意味不明エロではなく、「王女メディア」ほどヤレヤレな貧乏臭さも無く、一般大衆のほのぼのエロ満喫映画という感じだろうか。
イタリア男と言えばなんとなくみんなイケてるイメージがあるけど、この映画はイケてないイタリア人ばかり出て来て、そういう意味で珍しいと言えば珍しいかも。
この映画はそういった町の人々の、よくて町の金持ちレベルの、エロや小金を巡る下品でスケールの小さい、妙に楽しそうな物語がメインである。


そういった一般大衆の話や物語や役者は中々良くできているように感じるけど、荘厳さを感じさせなければいけないシーンはことごとくダメダメであるのが痛いところ。
例えば、映画の中の壁画を描く画家のエピソードで彼が天使たちが居並ぶ天国の夢を見るのだが、そのシーンが、小学校か中学校の学芸会を髣髴とさせるようなちゃっちさで笑える。
このお陰で時々見られる荘厳そうなシーンはどこかに着地するどころか、飛びたてもしないような状態であるのやけど、それはそれで可笑しい。
「ソドムの市」で4人の最高権力者を、「王女メディア」で王女と王国を巡る物語を映像にしたパゾリーニはその映像を持ち前の貧乏臭さで染めてしまっているけど、この「デカメロン」では一般大衆の物語が貧乏臭さに染められることで良い風に作用していた用に思う。
この人は貴族とか王族とか権力者を撮るよりも、これといった取り柄の無いぼんやりした一般大衆を撮った方が安心して観ていられる。
今流行らしい『蟹工船』とかをこの監督が映画化すれば面白いのではないだろうか。
いや、やっぱり『蟹工船』はちょっとシビア過ぎて笑えないから、江戸時代の町人の話の落語の映画化とかがいいんじゃないだろうか。

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