映画:スパイダーマン2 / 素顔を晒しまくるヒーロー / オッサン化するスパイダーマン

amazon ASIN-B0001A7CZU前作でスパイダーマンとして生きることを受け入れ、私人である事を犠牲にする覚悟を持った主人公であるけど、ニューヨークでのスパイダーマン人気が高まるのに引き換え、彼自身の生活はボロボロ。
スパイダーマンであることを優先するばかりに、大学、バイト、好きな女の子との関係、すべて上手くいかない。
自分がスパイダーマンであることに嫌気がさしつあるところに、主人公に愛想をつかした女の子が他の男と結婚することになり、危機を感じた主人公は、スパイダーマンであることを捨てて私人として生きる決意をする。
スパイダーマンを止めて生活のあらゆる面が好転し始めるものの、自分が一個の人間として人のために出来ることに限界を感じ、そしてスパイダーマンであることを要求される決定的な事件が起こり、彼は再びスパイダーマンとなることを決意するのであった。


ひたすらヒーローであることを疎ましく思い疑問を持ち続けている主人公のこの物語は、前作以上にヒーローものではない。
公私の乖離に悩み続ける主人公は、重要な役割をこなしている仕事での自分と、上手くいかない家庭でのギャップに悩むお父さん、というよりは、クラブや勉強と友達や恋の両立に深く悩む高校生のようであった。
スパイダースーツを着た青年であるスパイダーマンと、ただの青年であることは実は服を着ていることの差しかないはずなのに、全く違う存在であるように見える。
しかし、スパイダーマンが暴走する列車を必死で止めようとするシーンで晒す素顔が、スパイーダーマンの一皮下が生きることに悩む青年でしか過ぎないことを思い起こさせてくれる。
ヒーローであることに悩むヒーローは他にもいても、愛する人だけでなく市民にすら、苦しみ絶叫する素顔を晒してしまうヒーローは皆無ではないだろうか。
そういう意味で今まで以上に感情移入度の高いヒーローであろう。
公私のどちらかだけを取るということは実際のところ安楽な道を選ぶことであり、結局、長期的には選んだ方すら破綻することが多いということをオッサンになるとなんとなく理解できてくる。
だからこそオッサンは私人として生きつつも、社会に属して働き生きるのである。
この主人公も苦難の多い両立の道を選ぶというオッサンな道を歩みだすのであった

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