グーグーだって猫である/頑張って演技する小泉今日子にズッキンドッキン

amazon ASIN-B001KKR5NY今日は2月22日のネコの日ということでネコの話。
先日「ねこばん3D」を観て密かにネコ映画に目覚めかけ、勢いあまって『グーグーだって猫である』 を観た。
いい年をしたオッサンが見たと公言する映画としては、殆ど「カミングアウト」に近い恥ずかしさですな。
原作の大島弓子の作品は幾つか読んだ事があるのだが、この『グーグーだって猫である』 は未読である。
映画としては、色々な伏線が全て放置されたまま終了し、一体何がやりたいのか良くわからない映画であった。
明らかに地雷映画と分かっていつつも、観る前から唯一の見所かと予想されたネコ映画的にネコを鑑賞するような作りですらなく、デタラメな映画の中でひたすらけなげに頑張る小泉今日子の妙に渋い演技を鑑賞する映画であった。
主人公の小泉今日子以外にも登場人物の皆はちゃんと頑張って演技しててそういうところに変に感動した。
「楢山節考」の坂本スミ子とまた違った意味での役者魂を感じたのであった。


映画を観て、仕事だけが人生の寂しい漫画家と彼女を取り巻く人とネコのちょっとした恋とちょっとした感動のドタバタ劇、といった内容に、「たぶん絶対原作と違うわ」と確信したのだが、実際はどうなのだろう?
「スターシップ・トゥルーパーズ」並に原作ぶち壊しな映画なのじゃないだろうか?
この映画のエンディングを小泉今日子が歌っているのを聞いて、小泉今日子の歌って歌というより囁いてるだけなんじゃ…
などと思いつつ、なぜかずっと昔に鶴瓶が小泉今日子のモノマネ(ともいえない)としてやっていた「キュートなヒップにズッキンドッキン」を唐突に思い出したが、若人は決して知るまい…
なぜかネットを探しても動画もないし…
やっぱりネコ映画の最高峰の位置は世界一の猫遣いアンドレイ・クズネツォフによるロシア映画の「こねこ」で揺るがないなぁと思ったのであった。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP