日記/雑記/妄談 6 9月 2009 ひきこもり戦士による、ひきこもり戦争のための、ひきこもり塹壕戦 最近「ひきこもりについての本」「ひきこもりだった人が書いた本」「執筆当初も執筆後もひきこもりの人の書いた本」、そして名も無きひきこもりたちの書くブログばかり読んでいる。 なんというか、最大限にカッコよく言えば、彼らは新しい価値を模索しながら、消えつつもあり生まれつつもある価値を死守するために、既存の価値に戦いを挑み、これを破壊せんとしているように見える。 もっとも、一番破壊されているのは本人である[…] 続きを読む
趣味 5 9月 2009 サーブ9-3のランプコントロールユニットを修理した 私が最近中古で買った車はサーブ 9-3の最初期モデルであるが、いつのころからかハイビームに切り替えるとインフォメーションディスプレイにピンポ~ンという力が抜けるような音と共に「FRONT LIGHT FAILURE」というメッセージが出るようになった。 コンビニで前向き駐車する時にガラスに反射させてみると左ハイビームが消えている。 どうせ玉切れでバルブの故障だろうということで解体屋でボルボから摘出[…] 続きを読む
本 4 9月 2009 栗本薫 『ぼくらの時代』『ぼくらの気持ち』『ぼくらの世界』/ 若者の主張系ミステリ?? ISBN: 4062759330 ASIN: B000J7WAUM ASIN:4061840835 栗本薫の本ってのはグインサーガ以外読んだ事がないので、死去を機に色々と読んでみたのだが、その一番最初に読んだのが1978年に出版された江戸川乱歩賞を受賞したらしい『ぼくらの時代』 である。 私は本好きではあるが、ミステリってのはほとんど読まず、江戸川乱歩賞ということで硬派なミステリだと思ってずっと読[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 3 9月 2009 親密であるとは 電話ではあるが、久しぶりに某氏と話した。時間的に、距離的にどんなに離れていようとも、一旦話し出すとすっと隣り同士に立っている感じがする。深いバカ話というのは良いものだ。 数年に一度会うか会わないかの中学時代からの友人がいる。 昔は家が近いせいでしょっちゅう一緒に釣りしたりグダグダしていたが、当時はお互い家が近い上にお互いヒマやからこの仲の良さなんだと言い合っていた。 しかしながら今、どれだけ遠くに[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 2 9月 2009 審議日和 「桜花」と大日本帝国海軍の作った世界唯一の人間爆弾とも言うべき、特攻航空兵器の名を関する店で、久しぶりにいつものヒトコト審議委員会京都本部のメンバーでもつ鍋を食べながら追加ヒトコトを採択した。 殆どネタ的に石川支局と東京支局に審議への参加要請を打電してみるも当然ながら不参加で残念(あたりまえか…) とりあえず委員長である私の独断で「ファイティング、ニモ」と「○っさんまっさん」のヒトコト追加は保留し[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 1 9月 2009 「それは仕様です」は救いとなるか? 選挙ポスター、選挙カー、街頭演説、握手、スーツに襷と鉢巻、そしてバンザーイ、選挙に関わるあらゆるものは美的感覚から言って、オサレさんな文化圏の人たちやある種の美意識を持った人たちからすれば拒否感と嫌悪感を感じずにはいられない醜いものに見えるに違いない。 そういった人達にとって、こういったものに関わる事すら嫌なのではないだろうかと思う。 どうしてここだけはいつまでたっても同じなのだろう。同じような語[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 31 8月 2009 八月最期の日に欲望について思う 昨日遅くまで起きていて異様に眠たいのだが、なぜか寝られない。 結局寝られずにブログを書いている。 昨日琵琶湖からの帰りの車の中でずっと選挙速報をラジオで聞いていた。 そういえば昔、選挙は一つのちょっとしたイベントだった。友人と一緒にテレビで開票速報を見ながらなんやかんやと言いながら楽しんだものだ。 当時、我々は何も持っていなかった。しかし、一方であらゆる可能性があるような気もしていた。 日々をよく[…] 続きを読む
いきもの 30 8月 2009 久しぶりのバス / ドイツのソーセージは世界一ィィィ? 本日も琵琶湖へカフェ土偶へと繰り出して、ついでに久しぶりにルアーを投げてみた。 夕暮れの琵琶湖への流れ込みの見渡す限りの藻場である。普通なら無難にワームで攻めるところだが、私はワームでの釣りが今一つ好きではないので、私は昔からこういう状態では水面を覆う藻の切れ目にポッパーやらペンシルを投げる事にしている。 私のお気に入りのルアーの一つがTIFAのMICHAELであるが、私が持っているこいつはありと[…] 続きを読む
日記/雑記/妄談 29 8月 2009 本を読む事 / ユリシーズを読み始めた。 この夏は遊び呆けていてまったく本を読んでいなかったのだが、最近再び本読み期間に突入。読みに読みまくっている。 最近思うのだが、本を読むってのは自分の中にある何ものかが言語化されているのを発見し、確認する作業なのではないだろうか? 本でいろいろなものに触れるということは、本の中から何かしらを吸収的に得るというよりも、自己を再認識する作業なのではないかと。 ある種の本が、何度読んでも読むたびに新しい発[…] 続きを読む
本 28 8月 2009 斎藤環 『生き延びるためのラカン』 / 有効的な枠組みとしてのラカン / ラカン漫談 ISBN-10: 4862380069 以前読んだ『社会的ひきこもり―終わらない思春期』 の著者である斎藤環の『生き延びるためのラカン』 を読んだ。 ラカンってのは精神の分野に無理やり数学やら図を持ち込んで、数学者からトンデモ扱いされた、フロイト系の思想化扱いされている心理学者で、なに言っているのかは知らんけど、ちょっと胡散臭い気がする。程度の殆ど何も知っていないに近い知識とイメージしかなかった状[…] 続きを読む