映画:「エロス+虐殺」 /自由主義による浮気主義映画 / たしかに映画としてはアナーキー

amazon ASIN-B000BKJJ6U先日、吉田喜重の「煉獄エロイカ」を観て、映像は気に入ったもの映画としては激しくつまらんかった。
それでも映像が気に言ったのは確かなので、もう一つ同じ監督の映画を観てみようと言う事で「エロス+虐殺」(1970/日)を借りて来た。
映画の内容としては、アナーキストで革命家を自称する大杉栄が、妻がありながらも別の女性を愛人にしていたところに、更にもう一人愛人が出来て、そうこうするうちに話がこんがらがって来て、最後には痴話喧嘩の末に愛人に刺される。って感じである。
映画としてはこの大杉栄の話ではなく別のことも主題にあるのやろうけど、見ている分にはこの大杉栄の間抜けさしか目に入らんかった。
大杉栄は、私はアナーキストの自由主義者だから恋愛も自由なのだ。と言張って、妻にも愛人にももう一人愛人を作ると開き直って告げるのだが、これが端から見てるとあまりにも子供っぽくってムリヤり感があって可笑しかった。自分の欲望を思想やら主義のせいにせんと、自分で負って自分で責任を取れよと。


自分の欲望を、思想的な根拠から出た主義主張やらで正当化する(ように見える)人間ほどアホっぽく見えるものは無い。
しかし、ここのところの「自由」を「自らの欲望で暴走する自由」として真顔で言い張る彼は逆に清々しくもある。
大杉栄は妻にも愛人にもそこの所を言うて聞かせて納得させてると言うてるけど、嫁も愛人も明らかに嫌がってるし、彼女たち同士が出会うと一瞬にして修羅場な雰囲気になる。
こういうのんは大抵の問題がそうであるように、自分が言張れば済む問題ではなくって相手がどう考えてどう感じるかの方が問題なのやろうね。
そして、なによりも、概してこういった大杉栄みたいなタイプがたらともてるのが理解できるだけになんかムカつくのである。
革命家でアナーキストで同士達と活動を企て、それらしく小難しい風の物言いが多かったけど、結局は最初から最後まで四角関係を見せられたと言う印象だった。例のごとく舞台のような構図で舞台のようにしゃべるシーンも多数あってもうわけがわからん。
期待した映像も「煉獄エロイカ」ほどのインパクトは全く無かった上に、何よりも辛かったのは、この映画が「エロス+虐殺」ロングバージョンということで前編後編あわせて三時間半もあったことである。これはきつすぎる…
なんでもこの監督の撮る映画は「反映画」であるらしく、既存の映画のあり方を否定する運動の一環であるらしい。
確かにそういえばあらゆる意味で今までの映画とは違っている。面白いかどうかは別にして、確かに違っていることだけは確かや。主人公同様に映画としてはアナーキーであった。
はいはいアナーキーアナーキー。
でも、そんなこといわれても、私は普通の面白い映画を見たいので、こんなんを見せられてもちょっと困るのであった。(私が借りて来たのやけど…)
反物質とか虚数の存在ってのは物理学や数学には不可欠やけど、反映画が映画の存在にとって必要なのかどうかは微妙なところやなと思った。

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