映画:日本誕生/クソゲー/「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」

amazon ASIN-B000JJR9DSこの日に仕事を休んで額の傷の抜糸を済ませた。家に帰って頭を洗い、お医者さんの言ったように額の傷を石鹸で洗ってさっぱりした後、まったりこの映画を観た。1959年の日本映画、「日本誕生」である。
以前から三船敏郎が出ていると理由で観たくてしょうがなかったのだが、なんとなくパッケージから微妙な香ばしい匂いが漂っていて二の足を踏んでいたのやけど思い切って観た。
ヤマトタケルが自分の国から西征と東征に向かう時代の話を映画での現代の時間軸にして、ヤマトタケルの話をメインにしながら、語り部の老婆や登場人物が折に触れて、世界創造からイザナミとイザナギ、アマテラスとスサノオ、岩戸隠れ、スサノオとヤマタノオロチまでの日本神話を語ると言う構成である。
東宝映画1000本目の記念作品として作られた映画でかなり気合が入っており、当時の興行成績も抜群で、二位の「隠し砦の三悪人」の二倍以上の興行収入を記録したらしい。
しかし、今となればこの映画は映画として余りにも微妙である。ネット上では生暖かくこき下ろされている意見がとても多い。
とは言ってもこの映画の中途半端さやチープさは、多くの神話の物語としての荒唐無稽さとチープさ、そしてそれらの映像化の難しさであるように思う。逆にこの題材でこのくらいの見所を作り出してちゃんと映画に出来た事こそ出演者と製作者の素晴らしさであろうと私は思う。そう思うけど、決して傑作であるとは言いにくい…


スサノオとヤマトタケルの二役を演じた三船敏郎、飲めや歌えやの悪代官のような征西に向かった先の大ボスを演じた志村喬、天岩戸に引き篭もる「私ずるいんです」っぷりを遺憾なく発揮したアマテラスを演じる原節子、うわっ、きっついなぁと思わせる、八百万の神を爆笑させるに足る裸踊りを舞ったアメノウズメを演じる乙羽信子、その他にも、エノケン、左卜全、などなど、出演者は錚々たるメンバーであり、特撮は円谷英二が担当している。
設定とキャラクターと過度の資金投入で何とかなるだろうと押し通そうとするこの微妙な勢いは何かに似ている、そう、バブル期に量産された「クソゲー」(映画やけど…)である。全体として見れば中途半端やけど、妙なピンポイントでやたらと笑える部分が多いというところもそっくりだ。
日本神話の映画をクソゲー扱いすると特定の団体から叩かれそうやけど、私は良い意味で愛情を込めてそういっているのだ。
映画化にはあまりにも難しい題材を、人的にも金銭的にも大量の物量投入で乗り切ろうとするとても贅沢な姿勢は、今の日本が忘れたなにものかがあるだろう。(言い過ぎ)
ヤマタノオロチの首やらスサノオが投げた馬の首を動かしたりするためのテグスが見えたり妙にカクカクと飛ぶ鳥やら、円谷英二の特撮は確かに今見るとちょっとちゃっちいけど、よく考えればこの映画は1959年に作られた映画である。当時の人々の驚きようが伺えよう。ほぼ50年が過ぎた今見てさえそれが逆に味があるように見えるくらいだ。
逃げ惑う人々が神罰の溶岩に呑まれるシーンで、人が一人一人溶岩に消えるたびにポッと炎が灯るのが芸が細かくて笑った。
しかしなんと言ってもこの映画の一番の見所は円谷英二と三船敏郎のコラボで造り出された「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」であろう。
酔い潰れた人間は見苦しいだけやけど、だらしなく酔い潰れてぐったりしているヤマタノオロチはやたらと可愛かった。そして酔って暴れるヤマタノオロチと戦う三船敏郎が間抜けすぎて笑った。
他の彼の演技も中々に秀逸で、彼が西征の際に敵を討つ為に女装をして敵陣に忍び込み、絶世の美女として敵に近づくのだが、設定上大ボスがスケベ心をそそられるはずのちらりと見える目があまりに鋭すぎて殺気だらけで怒気を含み、子供なら見ただけで泣きそうな怖すぎる視線で笑った。きっと三船敏郎は女装させられたのに相当怒っていたに違いない。
悪戯を思いついてルンルンでスキップするミフネ、何故か魔法を使えるミフネ、過剰か過不足かでしか泣きの演技をしないミフネ。彼は大根であると揶揄される事がとても多いけど、逆に彼の大根っぷりは見事に神話世界にマッチである。
三船敏郎を見るためにこの映画を観た私にとって、彼がスサノオとヤマトタケルの二役を演じたこの映画は、三船敏郎が侍ではなく大和の剣士でありちょっと殺陣もチープであったのを除けば、「三船敏郎を見る」と言う一点で大いに満足である。
そしてなによりこの映画は、過去から未来までの日本を代表する二匹の怪物の対決、すなわち「ヤマタノオロチ VS 三船敏郎」というまさに「ある意味で日本の神話」を観られると言う意味で大いなる価値があるだろう。(言いすぎ?)

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