映画:黒澤明「影武者」/汎用ヒト型決戦兵器 「武田信玄」/任務とアイデンティティクライシス

amazon ASIN-B000UH4TUA黒澤明が1980年度のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを取った作品である「影武者」 (1980/日)を観た。
武田信玄の弟で彼の影武者である武田信廉は、逆さ磔にかけられようとしていた信玄にそっくりの罪人を、彼の影武者として役に立つかも知れないと思い貰い受ける。
そして信玄が城攻めの際に一発の銃弾で怪我を負ったのを契機として、武田家の重臣たちは影武者を立てる必要に駆られてその罪人を影武者に仕立てるが…
という感じのストーリーであるけど、自分を捨てて影武者として生きる道を選んだ罪人の苦悩がメインの物語であろう。その辺りはその罪人の役名が個人の名前でなく影武者とか影法師でしかなく、映画の中でもそのようにしか呼ばれない程に徹底している。
またそれだけでなく、一介の罪人を影武者に立てるしかない重臣の葛藤であるとか、影武者を御屋方様として扱う小姓やおじじとして慕う孫や重臣たちとの交流も見所であるかもしれない。


フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが外国版プロデューサーに名を連ね、カンヌでのパルム・ドール受賞など、国際的にも評価が高い作品であるはずやけど、「用心棒」「七人の侍」「椿三十郎」等と比べると作りがあまりに大雑把なような気がするし、三時間と言うのはあまりに長すぎたように思う。
それにその影武者がその大役を引き受ける事になった一番の原因である「武田信玄への心酔」がリアルに伝わってこないのは、ネット上に多く見られた感想と同感である。
それでも、一介の小悪人でしかなかった男が、あまりにも人間としての格の違い過ぎる武田信玄を演じる事になって葛藤したり苦悩したりする様は、巨大ロボットに乗って「逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!」と連呼する少年ととても似ていた。
「武田信玄」が生きていると言うだけで、周りの敵たちへのとてつもない圧力となっていたくらいで、ある意味「武田信玄」なる存在は人造人間エヴァンゲリオンと同様に「汎用ヒト型決戦兵器」であると言う事が良く伝わってきた。
エヴァンゲリオンに乗る碇シンジや武田信玄の影武者をする罪人だけでなく、自分以外に出来ない、自分には荷が重すぎるように見える仕事をたった一人で突き詰めて行くと言うのは、自分の独自性を深めていっているようでいて、実は普遍性やとか流れのようなものと一体化すると言う意味で自己性の放棄の側面を持っている。
そのより大きな物への合一や統合による自己喪失をアイデンティティクライシスと受け取るか、何らかの「体験」として受け取るかで、仕事やとか生活やとかの受け取り方が全く違ってくるものである。
とか思った。

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