映画:サウンド・オブ・ミュージック / 「ド」はどうしてもっと早く観なかったんやろうの「ド」?
今更ながらに初めて「サウンド・オブ・ミュージック」を観た。
1938年のナチスによる併合前夜のオーストリアのザルツブルグを舞台に、お転婆で天真爛漫がゆえに修道院で浮いた存在であった主人公マリアが、7人の子供たちの住み込みの家庭教師としてトラップ家を訪れ、歌でもって子供たちとご主人トラップの心を開いてゆくというもの。
昔、中学の友人の家に「サウンド・オブ・ミュージック」と書かれたビデオテープがあって、実はそのタイトルはダミーであり中身は実にエロエロなビデオだったという何とも心温まるエピソードがあったのだが、今まで「サウンド・オブ・ミュージック」と聞くとなんとなくその事を思い出してちょっと笑いを誘うようなイメージがあった。
しかしながら、初めてこのエロビデオではない「サウンド・オブ・ミュージック」を見てとても感動し、そんなイメージは一変した。
今までミュージカルなんかほとんど見た事の無い私であるけど、これは文句なしに素晴らしい映画である。
冒頭のアルプスからの俯瞰から高原で踊るマリアへのズーム、そしてマリアが全身で歌いだす「The Sound of Music」でいきなり「(´;ω;`)ウッ」と来るものがあった。
まだストーリーが始まりもしていない冒頭でいきなりこれは度肝を抜かれた。なんやねん。ただ歌ってるだけやのに…(;つД`);
物語はとても健全に、とても順調に予定調和の路線をひた走って行く。
主人公マリアに懐く子供たちの主人を信頼し切った子犬のような目に笑え、あまりにご都合主義で勧善懲悪な展開にちょっと不安を抱くけど、それは私が自然な演技とリアリティーを追求した映像を良しとする現在の映画に慣れているからだろう。
ミュージカル映画と言う事もあるのだろうか、自然さとかリアリティーの追求など意に介さず、様式美やイデア的な純粋性を志向したような物語とか映画の作りは、逆に人間存在の美なるものに一直線に切り込むようで、とても真っ直ぐで気持ちが良い。
どの歌も中々に良かったけど、それぞれの歌がほぼ二回ずつ出てくるところが言い感じである。
冒頭しばらくしてのマリアの性格をからかう歌の「Maria」が二度目に流れる時は彼女が一人でバージンロードを歩く時であるところ、大佐が子供達の前で初めて歌った「Edelweiss」がオーストリア市民の前で歌った時に愛国歌的に合唱になるシーンなどなど。
中でも修道院長がマリアを修道院から送り出すために唄う「Climb Every Mountain」がなんともたまらんかった。(´;ω;`)ウッウッ
そういうわけで、ザルツブルグの自然と歌と人の純粋さがとても美しい、感情にダイレクトに浸透する歌の力見せ付けてくれる、文句なしの名作であった。
かの有名な作中の「ドレミの歌」(Do-Re-Mi)の替え歌風に言うと、
「ド」は、どうしてもっと早く観ておかなかったんやろう。の「ド」
「レ」は、ハレンチなシーンは全然無いよ~。の「レ」
「ミ」は、とりあえず観て無い人はさっさと観ようぜ。の「ミ」
「ファ」は、ファシズム批判なんて野暮ったい事は言わないでござる。の「ファ」
「ソ」は、それにしても長女が16歳って設定は無理ないか~。の「ソ」
「ラ」は、まさかそっちのラブロマンスになるとは思って無かったぜよ。の「ラ」
「シ」は、やっぱりマリアはとんでもない破戒シスターやんけー。の「シ」
さぁ歌いましょ~♪
と言ったところか。もっと早く観ておけば良かった。
いや~も~笑っていただいて、頑張ってあいうえお作文した甲斐がありました…
(;^ω^A
>替え歌
さぁ歌いましょ~♪
ヾ(*≧▽)ノ彡ギャハハ