スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 / 愛ゆえにダース・ベイダー / 現代の神話として

amazon ASIN-B0000AIRN3いよいよスターウォーズシリーズの最後の物語、クローン戦争末期、ジェダイ騎士団と共和国の消滅、それに伴う銀河帝国とダース・ベーダーの誕生、物語としてはエピソード4へと繋がる、2005年公開の「エピソード3/シスの復讐」を観た。
前作でどす黒い感情を見せてくれたアナキン君であるけど、そのどす黒さはますますアップ、能力と才能を持つ青年にありがちな、勘違い傲慢の道をまっしぐらであった。
彼自身がどす黒いのはいいとしても、本人がそれを正しいと思い込んでいるところがなんともいただけない。
彼が凡人ならなんの問題はなかったのやけど、彼が凄い力を持っていたことが彼の不幸でもあった。
アナキン君の葛藤は、選ばれた者の愛に満ちた青年の孤独な葛藤というよりは、欲望に正直な凡人が期せずにとてつもない力を持ってしまうと堕ちてしまう「勘違いダークサイド」としか見えなかった。


アミダラの死を避けるためにダークサイドに堕ちるアナキン青年の心情は、エピソード5でハン・ソロとレイアの危機を夢で知り、修行を放棄して彼らの下に向かうルークのメンタリティーとは全く違う。
仏教で言えばエロースで表される「愛」は煩悩のひとつで、アガペー的な「慈悲」と明確に区別されるわけやけど、ジェダイの教えである「執着を捨てる」を根拠とする恋愛の禁止を、アナキン青年は「他人を気遣う愛情」はジェダイに必要という事で、意図的にエロースとアガペーを混同した自己欺瞞で掟を踏み越えるわけである。
しかし当然、いったん一線を踏み越えてしまえば、後から収拾をつけるのはとても大変である。
アナキン青年のメンタリティーってのは求道的で僧のようなジェダイというダイエット系の方向性で無く、貪欲に力を欲する戦国武将のような過食系であろう。
彼の愛する人の死に対する予感の対処として「死なないようにする」って方向性で考えるのは、逃避でもなく対症療法でもない根本的な問題解決を目指しているわけで、問題解決の思考方法としては健康的であるけど、いかんせん誰もが避けることの出来ない「死」が相手では役に立たない。
なまじ力があったり能力があったりすると、受け入れるか諦めるしかないものを解決しようとして大変な労力を使って疲れ果ててしまう。
まるで、サークルとかバイトとかのぐちゃぐちゃになった人間関係で抜き差しなら無くなり、いくら頑張っても改善するはずも無く、そんなわけのわからんとこはさっさと辞めてしまえばええのに、無駄に抱え込んで独力でがんばってしんどそうにしている、真面目やけど要領の悪い青年のようでもあった。
そういう意味で、まだ若い身空で実に様々なしがらみと欲望と才能に取り囲まれ、それでもなお、真面目であるからこそ逆に一人で背負い込んで悩んでしまい、一杯一杯頑張っても、やることなすこと全て裏目に出てしまうアナキン青年はなんとも悲しすぎた。
当初彼の苦しみは恋愛の出来ない自らの境遇を省みた「ジェダイゆえに!私は苦しまねばならぬ!」であったけど、結局彼は愛する人をその手にかけてしまう。
彼が完全にダークサイドに堕ち切ったのは、愛する人を救うどころか彼自身が愛する人を殺すことになってしまったからであったのだろう。
最終的に彼の苦悩のと苦しみは、某聖帝サウザーの史上最高の名台詞「愛ゆえに人は苦しまねばならぬ!!愛ゆえに人は悲しまねばならぬ!!こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら・・・愛などいらぬ!!」に集約されることになる。
アナキン青年はジェダイなる人間を超える存在を目指すかのような道を選びながらも、余りに人間的であったところが彼の弱さでもあった。ダース・ベイダーがこれほど愛されるのは、彼がただ強いだけでなく、サウザーと同じく「愛深き故に愛を拒んだ男」でありつつも、最終的に愛を思い出した漢であったからだろう。
大きな力を持つという事は、どうしてもその力をコントロールする精神力と倫理観をも要求されるのは当然である。大きな力を持つ人に対しては、また期待も大きいのである。
このスターウォーズの世界観がコンピューター世界を支えるハッカー達の共有する世界観の一つとなっているのは、ただSF的な部分だけでなくこういった力と欲望のバランスと言ったテーマの側面が大きいのかも知れない。
コンピューター上の世界は個人が技術力を武器に強大な力を持ちえる場でもある。コンピューターネットワークが広がって、世界は再び魔法の世界になった。という見方があるけど、ひとかどのコンピューターとネットワークの技術を身につければ、1ユーザーからすれば魔法としか見えぬ力を発揮できる世界でもある。
ダークフォースに堕ちた強大な力を持ったクラッカーが何万と言うボットを従えて無差別に破壊活動を開始すれば、インターネット上はどうしようもない混乱に陥るだろう。
「ジェダイの掟」なる倫理観はハッカーたちの共有する倫理観と無関係でないように思う。
高度な技術を持ったハッカー達がジェダイの騎士であるがごとくに、コンピューターネットワークの世界の秩序と正義を守る義務を持っていると自負していたおかげで、インターネットがただの商業主義のネットワークに堕さず、ダークサイドはあるにしろ、基本的には自由な気風が漂う世界でいられることは間違いないだろう。
そういう意味で、ジョージ・ルーカス自らが「ダース・ベイダーの贖罪の物語」と呼ぶこの新旧合わせた6部作は、特定の個人と社会が強大な力を持ちうる現代に「現代の神話」として受け入れられたのだろう。などと思った。みたいな。

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