映画:「エレファント」 / 日常の延長としての惨劇 / 非社会派で非ワイドショーな真実では無い事実

amazon ASIN-B0002XG8KQ 先日ガス・ヴァン・サントの「ジェリー」 を見たけど、その次の年に公開された同監督の「エレファント」 (2003/米)を見た。
タイトルのエレファントは”Elephant in the room”なる慣用句や「群盲象を評す」なることわざを意識しているのだろう。
「コロンバイン高校銃乱射事件」をテーマにしたこの映画は、その事件の日の日常を事件に係わり合いになった加害者と被害者の人たちの視点で淡々と描いている。
とはいっても、被害者や加害者や傍観者などの特定の視点で固定されて描かれているのではなく、登場人物たちが、あるときは廊下で、あるときは図書館で、色々なところですれ違いながら事件に巻き込まれるひとつの事実を、登場人物たちの視点ごとに執拗に何度も繰り返えすような描き方である。
同じ事件をいろいろな人の視点から描いているという点では村上春樹が地下鉄サリン事件の被害者や関係者たちにインタビューした『アンダーグラウンド』に似ているけど、加害者の視点もあるだけでかなりん印象が違う。


この映画は、この事件に関する何らかの問題であるとかプロパガンダを訴えかけるような雰囲気は全く無く、ただ個人にとってその日に何があったのかという部分をのみ問題にしているように見える。
日常のまま襲撃計画を立てて武装した加害者たちが、同じく日常を送っている被害者たちと傍観者たちの前に現れる事で事件が起こる。
このような無差別殺人を行うからには常人を脱した何かがあるのかと想像されるけど、この事件の加害者は日常性の延長上でこのとてつもない未曾有の惨劇を行った。とこの映画では見ることが出来る。
加害者はいじめられっこで、ベートーヴェンのピアノと銃が好きな少年で、ネットで銃を買い、薪を試し撃ちする。とここまでの気持ちは大変良く理解できる。
映画では、ここから当たり前のように、バックに銃器を詰めて車で高校に赴いて図書館と食堂を襲撃するわけやけど、しかし、やっぱり、ここの部分だけは心情的にも感覚的にもかなりの飛躍がいるように思う。
こういった事件はとかく「事件の真実」なるものを探りたがる傾向が多いけど、どちらかというと、「真実」を探る事は放棄して、「事実」の羅列のみを提示することで何かをあぶりだそうとするような、一つの悲惨な事件の描き方としてはとても気に入ったし面白かった。
社会的で関心度の高そうな題材を描きながらも、社会派な匂いも物見高い匂いも全くしないところがとても良かった。

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