映画:「ウィッカーマン」 / アンチ癒し系ケルト文化 / 交流せず不気味なものでしかない異文化

amazon ASIN-B0019HHBJQ2006年にニコラス・ケイジ主演でリメイクされた、カルト映画として中々評判の良い古い映画「ウィッカーマン」 (1973/英)を観た。中々人気があるらしく、ずっとレンタルされていて中々借りられなかったのだがやっと観る事が出来た。
匿名の手紙による情報から行方不明の少女を追って敬虔なカトリックの警官がスコットランドのある島にやってくる。
警官は島を治める領主の元で太陽と自然を信仰する卑猥な原始宗教を信仰する島民たちに嫌悪を抱きながらも、何かしらの怪しさを嗅ぎ取って捜査を続けてゆくが…
てなストーリーである。


この映画の見所は、現代の我々から見れば下品で朗らかで開放的に過ぎる島の不気味さと、ネタバレパッケージとしてデカデカ載っているウィッカーマンの不気味さであろう。
大抵この映画を見る人は、この警官と同じ視点に立って少女を探して怪しげな島を見て回る事になるのやろうけど、観てゆくにつれちょっとした違和感がだんだん不気味な予感に変わってゆくような、だんだんと息苦しくなって来るような映画の作りは中々見事であった。
警官の視点で映画が進みながらも、島民でも警官でもないニュートラルな立場で淡々と描く作りが良い感じである。
ドルイドである領主を中心にして、ケルト神話に基づく自然崇拝の原始宗教の風習に則って暮らす島民たちの様は、調べてみた限りかなり正確なケルト系の原始宗教の考え方や風習を表しているように見えた。
しかし、この映画が変なリアリティーを持って現代人である我々に不気味なものとして迫ってくるのは、この映画で描かれる原始宗教の雰囲気がただリアルであるというだけではなく、一見外から見れば現代の我々の生活と溶け込んでいるように見えるけど、実はそうではない。というところが、彼らの住む島から感じる不気味さを更に引き立てているの所なのだろうと思う。
この映画は、ケルト系や北欧系に代表されるような、とかく「癒し系」だと扱われがちな原始的で素朴な宗教や神話が、表面的にはそう見えても、実は根本のところでは「癒し系」とは程遠い、如何に生贄大好きで血なまぐさくてエロい圧倒的に根源的な側面を持っているかと言うところらへんがとても現れていたように感じられた。映画内に漂う、この胡散臭くて怪しげな雰囲気は中々にすばらしい。
結局、ケルト的な島民とカトリック的な警官の二つの文化は最後まで全く交流せずにすれ違ったままである。
私が思うこの映画の一番の美点は、異文化だの異宗教だのの対立や交流などと言ったテーマを一切扱わずに、現代人である我々に原始的な異宗教から感じる不気味さを味あわせつつも、最後の最後のシーンで燃え上がるウィッカーマンから、その異文化の中にある、ある種の圧倒的な美しさを感じさせるところにあるだろう。
自分の中にある価値を前提とした物差しで異文化を計るのではなく、皮膚感覚として根源的な感覚で捉えられるような美を感じる事が、異文化に対する理解や肯定につながるのかもしれないと思った。

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