映画:「風が吹くまま」 / 文芸書のような映画

amazon ASIN-B00005NS2W 「桜桃の味」が有名なアッバス・キアロスタミの「風が吹くまま」(1999/仏=イラン)を観た。
現代イラン映画を代表する多くの作品を撮った、イラン映画の中では有名な監督であるらしいけど、この監督の作品を見るのは初めてである。
テヘランからおよそ700キロ離れた地方に奇妙な葬式の風習が残る村があり、そこに住む一人の老婆が危篤だということでテレビのクルーはその老婆の葬式を取材をするために村に出かける。
村に到着したディレクターは村で生活しつつ老婆に死が訪れるのを待つが、徐々に悪くなっていたはずのはずの老婆の様態は彼が到着してから日に日に良くなってゆく。
そんな中でディレクターが複雑な気持ちを抱きながら日々を送ってゆく様が淡々と描かれるという感じでの映画ある。


主人公のディレクターは老婆の死を待ちながら村で暮らすが、待つだけの毎日に退屈極まった取材のクルーと、時折携帯電話に電話をかけて来る上司との板ばさみに合いつつも、村の人たちとの交流してゆく。
視聴者に対するサービスは控えめで、物語は何の事件も起こらずに淡々と続いてゆくので見ているとひたすら眠たくなる。まったく面白くないというわけじゃないけど、とても面白いとは言いがたい。
主人公以外のクルーは姿を見せず、携帯電話で話すために近所の丘に車で走って行ったり、亀や穴を掘る男など、なんとなく象徴的なシーンや台詞が多くて比喩に富んだ作りである。
この映画を観るのは私小説とか一人称小説とかいったものを読んでいるような感覚に近いかもしれない。
良い言い方をすれば観ている人に媚びていないが、嫌な言い方をすれば視聴者に優しくない作りである。
私にとって映画なるメディアは本などと比べた場合、一方的に情報が送られてくるようなプッシュ型的なコンテンツなのだが、この映画は本のように映画を観ているほうの立場で多くを汲み取ってやる必要があるように思う。
この映画の評価が結構真っ二つに分かれているのはそこのところがあるからだろう。
この映画が作られたイランってのはなかなかの映画大国らしいのだが、そんなイランではこの映画を文芸書を読むような感覚で観ているのかもしれないなと思った。

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