ジャック・リヴェット「美しき諍い女」 (1991/仏) / げいじゅつはばくはつするか? / 爆発オチはロマンである。
ジャック・リヴェットの「美しき諍い女」 (1991/仏)を観た。
この映画はバルザックの短編『知られざる傑作』を原作として、カンヌ映画祭でグランプリを受賞している。
妻をモデルにした「美しき諍い女」なる絵を完成させる事が出来ないまま、創作意欲を失って10年を妻と過ごした老いた画家が、自分に会いに来た若い画家の恋人である気が強くて美しいマリアンヌに強い衝撃を受け、彼女をモデルして再び「美しき諍い女」を描く決心をする。
老いた画家と、その妻、若き画家とモデルになったその恋人、そして老いた画家の恋敵であった画商、そして若き画家の妹の六人がそれぞれの複雑な感情が交錯しながらも、徐々に絵は完成してゆく。
というストーリーの、DVD二枚組みで四時間にもわたる、音楽は無いのに途中休憩はある長い映画にも関わらず、とても面白くて没頭して一気に見てしまった。
原題のフランス語「La belle noiseuse」の「noiseuse」について調べていて、これは「喧嘩を売る」という意味の「chercher des noises〜」なる文語の定型句でしか使われないような「喧嘩」という意味の女性名詞の「noise」を人称名詞化した者であるらしいと判明した。そのあたりはこのページがとっても勉強になった。
つまりは、分語調の女性名詞の「noise(喧嘩)」が人称名詞化されて、「noiseuse(喧嘩女)」ということになったということらしい。
邦題の「諍い女」ってのは原題同様に分語調っぽく喧嘩っ早い女を上手い事表しており、「美しき諍い女」 ってのは直訳でありつつも上手い事綺麗な邦題であるわけですな。
なんつーか英題の「The Beautiful Troublemaker」ってなんかAV蔵みたいなダメダメでグダグタな語感とは雲泥の差である。
で、その映画であるが、実際の画家が筆や木炭で実際に絵を描いて行く様が長回しのシーンがやたらと多くとてもびっくりした。
そして、描く立場の画家と描かれる立場のモデルが、最初は主従関係だったものの、だんだんと緊張をはらんだ「対決」としかいえないような関係になりながら、協力しつつも絵を完成させてゆくさまがとてもスリリングであった。
まさしくそのあたりは「諍い女」の本領発揮である。
画家とモデルの関係はもちろん、昔は自分がモデルであった妻と新たなモデルのマリアンヌ、老いた画家と自分の最愛の恋人をモデルにされた若き画家、心痛の兄を心配して訪れた若き画家の妹とマリアンヌ、恋敵に破れたものの老いた画家のその妻をまだ愛している画商などの、いわば「美しき諍い女」とは直接関係ない部分の複雑な人間関係の中から生まれる愛や嫉妬など感情の流れもとても面白かった。
そして、絵を描く事がただ描くのではなく、描く方と描かれる方の内面全てを見つめてさらけ出して、ある一線を越えればどちらかが破滅するまで続く決定的で後戻りできない格闘のようなものである。
って主張が上手く表現されていたように思う。
一度はモデルである愛する妻か画家である自分のどちらかが破滅するのを望まずに、あえて「美しき諍い女」を完成させずに止めた老いた画家が、若きマリアンヌをモデルにして絵を完成させれば、画家とモデルだけで収まらずに、画家とモデルに関わる全ての人へと及ぶであろう「破滅」がリアルに描かれていたように思う。
「芸術が破滅をもたらす」という事実は、岡本太郎先生の言う「芸術は爆発だ!」のある一面であるだろう。
いや「芸術は爆発だ!」が「芸術が破滅をもたらす」の一面なのか?まぁどっちでもいいか。
そして、最後の最後で老いた知恵のある画家らしくその「破滅」を上手く回避する様が中々素晴らしかったのだが、
実は最後は「げいじゅつがばくはつ」して、関係者一同木っ端微塵に吹っ飛ぶような「爆発オチ」のバッドエンドなラストもこっそり期待していたのでほんのちょっとだけ期待はずれでもあった。
なにしろ、ドリフで育った世代にとって、「爆発オチ」はベタでありながらも自らの心をも揺さぶるロマンでもあるのだ。
とはいえ、芸術ってものの恐ろしさとか激しさがとても良く伝わってくる、そしてそれを取り巻く複雑な人間模様がとても丁寧に描かれていた、とても良い映画であった。なんせ4時間以上もあったしね!