モフセン・マフマルバフ 「サイクリスト」(1989/イラン)
モフセン・マフマルバフのイラン映画「サイクリスト」を観た。
たぶんイラン映画なるものをそれと意識して観るのは初めてである。モフセン・マフマルバフなる映画監督も一応有名らしいけど初めて聞いた。
隣国アフガニスタンから難民としてイランに流れてきた男が、瀕死の妻の入院費を稼ぐために「一週間自転車に乗り続ける」という興行の「サイクリスト」となり、賞金を目指して走り出す。広場をぐるぐると回る彼の周りには人集りができ、屋台が軒を連ね、彼は英雄として祭り上げられてゆく、彼がどうなるかを賭ける金持ち連中や興行主の陰謀や妨害、彼を助けようとする彼のような貧乏人、彼を取り巻く人々のドラマが展開する。
「すべてのイラン人が見た」とまで言われる、本国イランでは空前のヒットとなった、この監督の代表作である映画らしい。
主人公は自転車に乗ってぐるぐる回っているだけなので、彼を巡る人々の物語が主であると言えよう。
国民すべてがみるほど面白いか?と言えばそんなことはないように思えるけど、やっぱり面白かった。
山もなく谷もないけどなぜか目が離せない。結構大げさな演出の割になぜか淡々としているように感じるのがとても不思議。いつの間にかなぜか感動している自分がいる。
レンタル屋さんでパッケージを見た時に抱いた違和感である「ただ自転車に乗り続ける」という特殊技術でも何でもない行為がなぜ興行として成り立つのかという部分が、映画を観ているうちに当たり前のように納得できていることと、そんなただ貧乏であるとしか言いようのない彼が英雄として祭り上げられてゆく課程が当たり前のように理解できるのは不思議と言えば不思議かもしれない。
あまりに凡庸である彼が英雄になったのは彼を助けた仲間がいたからこそであり、そう言った部分がイランで爆発的なヒットとなった原因であるかもしれない。
しかし、この映画のラストの、今まで観たどんな映画でもしそうなタイプの演出が全くない、あまりのあっけなさと胸苦しいような哀しいような感覚は何だろう?これがイランの国民性か?
この監督、というよりイラン映画をもう少し観たくなってきた。
確かに言われてみればペルシャ人の彫りの深さは映画向けと言えそうです。
自転車でグルグルしてるだけのこの映画を最後まで見させてしまう原動力はそんなところにもあったのかもしれないですね。
どうしてもアメリカ映画に親しんできた自分からすると、展開のけだるさにはいささか閉口してしまいました。しかし、今の時代自分の考えと言うものが、無くなりつつある現代では、想像力と言うものを試すにはもってこいな様な感じがしますね。イランの方々は、顔の彫りが深くて、イタリアとかギリシャ系的な感じが、映画に向いてるのかなって感じます。