デイヴィッド・リンチ「ロスト・ハイウェイ」 (1997/米)

amazon ASIN-B00005V2MGデイヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」を観た。
サックス奏者の主人公がある朝インターフォンに出て「ディック・ロラントは死んだ」という謎のメッセージを聞いた。それをを切っ掛けにして自分の家の玄関先や寝室が映っているビデオテープが届いたり、パーティで奇妙な謎の男にあったりと変な出来事が立て続けに起こる。そして主人公は精神的に追いつめられていって云々…という感じやけど、そこから一転してまた別の話になったように見える。
シーンごとの単体をとって観れば変にリアルでいかにもありそうなことやのに、その繋がり方が全く想像の範囲外にあって理解できない。しかしながら映画の中の世界や登場人物は当たり前のように受け取っているように見える。
観ていて全くストーリーの繋がりが分からず困ったけど、ネットで誰かの書いた感想やらレビューを見る限りどうやらこういう映画らしい。
さらに、この映画に限らずこの監督の撮った映画は、ビデオテープは自分の客観の象徴やとか、アレの意味するところはコレに違いない。などと議論が活発である。
場面自体は変にリアルやのに、場面同士の繋がりとか展開の仕方があり得ない。にもかかわらず当事者は違和感を感じていない。
これは何かの構造に似ている。と思いついた。


そう。寝ている時に見る夢やね。
夢日記というジャンルがあるけど、この監督の作る映画はどちらかというと夢映画という感じのものが多いような気がする。
「夢」的に因果関係とか整合性とかを超越(あるいは無視?)することで人間の根源的な何ものかがより明確で純粋に表現される面も多いだろう。人間が欲求を極端の方向に向けて暴走した時の得体の知れなさと不気味さなどは、この「夢」的な雰囲気によってよりリアルにエグく見えてくるように思える。
そしてなによりも、こういった映像自体とその雰囲気を最大限に楽しむ映画であろう。
「実話を元にした」とか「ノンフィクション」であればそれだけで物語の価値が増すと考えるタイプの人にとっては、他人の見た夢の訳の分からなさを楽しむ事は価値がないかもしれないけど、そういうのが好きな人、さらにはその感性にハマってしまう人にとってはどうしようもなく価値のある映画になってしまうというのはよく分かる。
この監督の映画は訳が分からない。とよくいうけど、その訳の分からなさが、自分の訳の分からなさと同調した場合さらにその価値は増すだろう。
この監督が「カルトの帝王」たるゆえんはそこにあるのかもしれない。
自分の訳の分からなさをそのままに表現するのも、実はとてつもない才能やと思った。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。

PAGE TOP