トッド・ブラウニング 「フリークス」 (1932/米)

amazon ASIN-B000E6G0GIゴールデンウィーク映画大会の第2弾、フリークスを観た。
サーカスの見世物小屋の話で、小人症から無肢症、結合双生児に小頭症などなどの「フリークス」な役者達が登場する。
中々にショッキングな映像ということでイギリスでは放映禁止になり、アメリカでも観た人がショックで次々と倒れて、問題ありげなシーンをことごとくカットして放映されるも商業的にも全く成功せず、「魔人ドラキュラ」などのアメリカン・ホラーの黎明期を支えたトッド・ブラウニング監督はこの映画を撮ったおかげで完全に映画界から抹殺されてしまったと言ういわく付の映画である。
ストーリーはサーカスの見世物小屋で花形の美しい空中ブランコ乗りが小人症の男を戯れに誘惑して貢がせ、彼が膨大な遺産を相続したと知るや結婚して毒殺しようとする。そしてそれに気付いたフリークスたちは仲間の男を救うべく行動を開始する。というもの。


本物のフリークス達が登場するカルト映画、なる位置づけの前評判を散々聴いていたのでかなり気合を入れて観たけど、実に昔風の分かりやすいストーリー展開で勧善懲悪となる単純な映画であった。
この映画がショッキングであると言うのは登場人物が「フリークス」というところのみ因るのだろう。
確かにストーリの展開上、登場人物が「フリークス」である必要は無いと言えば無いかもしれない。
しかしながら、実際彼らは本当のサーカス団の芸人たちであり、彼ら自身は誇りを持って見世物となり自分達の仕事をしているわけで、雨降る暗闇の中を得物を持って群がるシーンや主人公の男のしてやったりとばかりの悪徳そうな笑みを浮かべるシーンは中々鬼気迫る恐ろしいものがある。そこのところは彼らの役者としての存在感意外の何者でも無いであろう。
とかく人権問題とかなんやかやでこの映画をタブー視するか褒めるかの二極化が進んでいるように見えるけど、この映画が映画としてそれほど面白いとはやっぱり思えない。どうしても、この映画の冒頭と最後で言っているようにこの映画自体を「見世物」として見せる方向性が強いように思う。
監督のトッド・ブラウニングは昔サーカス団にいたがゆえにこういったフリークスたちと親しく、彼らに親近感を持ってこの映画を撮ったことは確からしい。ゆえに少なくともこの映画を撮った意図は純粋な「見世物」では無かったのだろう。
それでも彼らを使って映画を撮るからには、彼らをただの見世物で終わらせないために、本当に映画として面白く撮るべきであったと思う。
映画としての面白さが薄いが故に「フリークス」の部分が浮き出してきたわけで、この映画が映画として本当に面白ければまた違った事になっていたのだろうなと思った。

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