ギャスパー・ノエ 「カノン」 (1998/仏)
ギャスパー・ノエの「カノン」を観た。
新鋭の映画監督であるギャスパー・ノエなる人物はこの映画で始めて知ったけど、ネットで妙にエグいと評判なうえに、ヴェルナー・ヘルツォークを好きな人が同様にこの監督を好きなパターンが多いようなので観てみた。
話としては「馬肉屋三部作」なるものの二番目で、ストーリー的には前作の「カルネ」の続きであり、次作「アレックス」の間であるらしい。本当なら「カルネ」から観るべきなのやろうけど、レンタル屋さんになかったものはしょうがない
前作の「カルネ」を観てこの監督を気に入ったアニエス・ベーがこの作品の製作を全面的にサポートしているらしく、10年前の映画やけど、本国フランスでは前作同様にちょっとオサレで前衛的であるような扱いを受けていたようだ。
冒頭は「前回までのあらすじ」のように静止画のスライドショー式に「カルネ」の内容が説明されるのだが、それ込みでなかなか面白かった。娘を施設に放り込んで酒場の女とフランス北部に逃げた男が、今度は女から逃げ出してパリに戻ったものの、仕事も見つからず金も失って徐々に追い詰められて行き詰るさまが描かれるのやけど、映画の中のほとんどが、小心者で気の弱いその男が頭の中だけで展開している、周りに対する毒々しい罵倒や攻撃的な独白や妄想で埋め尽くされている。
冒頭で世のモラルは金持ちが貧乏人を搾取するためだと罵倒し、そんなものは否定してやるとばかりに世界に喧嘩を売る男が銃をちらつかせながら息巻くシーンから始まり、この映画の主題が提示されているような感じであった。
その主題どおり、世の中のもっとも下層にいる、何も持たない本当にどうしようもない50がらみの男が世界に絶望しつつも、モラルを踏み越えて自らの生きる意味を見出そうとするところは、一般的に思われるニーチェ的な考え方の、ある種のニヒリズムをどう受け入れるかという話であるのはわかりやすい。
実の娘を性的な対象と捉え、自分の子を孕んでいる女の腹を執拗に殴り、自分以外のものはすべて見下して否定し、弱いものに対する場合と頭の中だけで強気で暴力的な、なぜか自分だけはモラルを超越する権利を有するように思っている、この映画で描かれるような男に対しては、殆どの人が嫌悪感しか抱かないだろう。
男が醜ければ醜いほど、どうしようもなければどうしようもないほど男の追い詰められ方は激しく、自業自得ながらもその絶望はリアルである。こんな風に死んでいった人がたくさんいるのだろうなと想像できる。
最も最低な男の辿り得る、最も最低な形での絶望にどうオチがつくのか。というところがこの映画の見所かもしれない。
この映画の後半、感受性を損なう恐れがあるから、見たくない奴は見るな。的な警告の後のカウントダウンに続くシーンはなかなか来るものがあった。気持ち悪いものを見ると吐きそうになるという表現があるけど、なんかそういう感じの嘔吐感を伴った気持ち悪さやった。
なかなかにエグいシーンを見せられた後にあー良かったーと思わせておいて「まさか…えーっ?」とまたひっくり返す展開はかなりびっくりである。
結局男は冒頭のようにモラルを破壊し、利己性に則って自己を追及したわけだ。なんとも激しく後味の悪い映画やったけど、とても分かりやすく考えさせる映画でもあった。この位の分かりやすさは珍しいんじゃないだろうか?
タイトルの「カノン」が作中にかかるパッヘルベルのカノンだけでなく、音楽的には同じ主題の異なる展開を表す手法であり、宗教的には正典を指す言葉であることからそこのところを意識したのかへーっとか思ったけど、原題は「Seul contre tous」ということで「仏和辞典Web」やらWEB翻訳で調べてみると「一人で全てに反抗して」とか「Only against all」ということで、全然関係なしやん…