映画:「エクソシスト」 / 「エクソシスト」と「積み木くずし」 / 「悪魔祓い」と「赦し」

amazon ASIN-B0002T20MK昔から何度もテレビでやっていたけど今まで一度も観たことがなかった「エクソシスト」(1973/米)をレンタル屋さんで借りて来て観た。
私が借りたのは有名なスパイダー・ウォークなどの未公開シーンが入った「ディレクターズカット版」だったらしいけど、元々オリジナル版を観たことがないのでどこが違うかはよくわからない。
それでもスパイダー・ウォークは怖かった。カサカサカサ(ブリッジで階段を下りる)どっばぁー(口から血)「ひぃ~~っ」(私)という感じだった。このシーンがカットされていたとはもったいないなぁ。
映画女優の12歳になる娘が、かわいらしく利発な性格から一変して、突如口汚い言葉を吐いて暴れ、他人や自分を傷つける言動を繰り返すようになった。日に日にエスカレートしてゆく娘の奇行に困り果てた母は病院に連れて行きさまざまな検査を受けさせるが、神経科的にも精神科的にも全く正常としか見えない。
困りきった精神科の医者の言った、悪魔祓いを行うことで、少女は自分に憑いている悪魔が祓われたと思い込んで治癒する可能性がある。なる言葉の通り、母は精神科医であった神父に悪魔祓いを依頼する。
神父は元精神科医の立場として会うだけならと引き受けるが、本当に少女に悪魔がとり憑いているのではないかと思うようになり、教会からの全面サポートを得て、昔から数多くの悪魔祓いを手がけてきた神父と共に悪魔祓いに取り組むことになる。
ってところが一般的なストーリーになるのやけど、私はこの悪魔憑き親子の物語と平行して語られる元精神科医の神父の運命こそ、この映画のメインストリームだと思う。


彼はずっと面倒を見続けてきた母を不本意な形で死に追いやってしまったことで悩み、自己嫌悪やら葛藤やらで自分の信仰すら揺らごうとするところに、件の悪魔憑き親子の話である。
自分の問題で精一杯だったはずの彼は神父として悪魔と戦う羽目になり、悪魔にその弱さをもろに突かれながらも見事に戦い抜いた。少女から悪魔を追い出すという観点からすれば、結果的には勝利であるといえるだろう。
自分の母親の葬式のミサをあれだけ穏やかに捧げ、何事にも激昂することのなかった彼が、神の代理者のしての神父の立場ではなく、激情と怒りに駆られつつも理性を持った人間として悪魔に打ち勝って少女を守ったのが良かった。
彼の最期の時に、親友の神父が彼の「告解」を聴き「赦しの秘蹟」を授けるところは激しく感動した。
悪魔憑き少女の不気味さとぶっ飛び加減をスパイスに、変に悲しみを背負った神父の苦悩の物語であった。
ネットでこの映画の感想や批評を見ていて面白かったのが、悪魔が憑く事でおとなしかった少女が突如悪魔のようになる。というモチーフは「積木くずし」に代表される反抗期の非行少女モノと同じではないかという意見である。
不良少女になったからといって緑の吐しゃ物を吐いたり、首が360度回転したり、ブリッジで階段を駆け下りたり出来るようになるわけではないけど言いたいことはわかる。
確かに、今まで良い子だった娘が、強烈な化粧をして派手な服を着て悪態をつき暴れに暴れて夜な夜な遊び歩けば、親御さんが理解できずにパニックになるのは容易に想像できる。その愛娘が似ても似つかない姿になり似ても似つかない言動を繰り返す様は、少女に悪魔が憑いたと理解するのが一番わかりやすいだろう。
非行少女が非行で破滅を道を歩むのは、少女自身の性根が腐っているからとしては余りにも救いがない。
そうではなく、少女自身ではない外的な何者か、例えば少女のトラウマであったり少女をないがしろにする家庭環境であったり少女を悪の道に誘う男であったりとを悪魔的なモノとすることで、それに対する祓いによって少女は本来の姿に戻るという構造である。
一度憑いた悪魔はちょっとのことでは離れない。そして、映画エクソシスト同様、悪魔を祓うための戦いは壮絶なものとなるのである。
しかし、罪にまみれて奇行を繰り返す人を指して、悪魔憑きとするのはある種の優しさを含んだ行為であるとも言える。
その人の奇行は憑いた悪魔によるもので、その人自身に責任があるのではないとする事は、その人を罪人とせずその人を引き上げる数少ない手段の一つであろう。
考えてみれば、悪魔がとり憑くことのなくなったこの世の中は、自分自身の罪をすべて自分自身で負わなければいけない世の中でもある。
悪魔が憑いてそれを追い出すことで問題が解決した時代というのは、実は中々に大らかで人の弱さに寛大な時代だったんではなかろうかと思った。
さらに、この悪魔祓いであるエクソシストについて調べていて、現代でもローマ・カトリックは悪魔祓いと悪魔祓いを行う人であるエクソシストをちゃんときっちりと組織している事実にちょっと驚いた。
現代でも正当な宗教的な秘蹟の一環として悪魔祓いを受けられるというのは、とても大きな救いと喜びをもたらすであろう事は容易に想像できる。
なんかこの事実を見るにつけ「悪魔祓い」と「赦し」は微妙なところで密接に関係しているような気がした。
まぁ、映画のエクソシストとは関係ない話やけど…

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