「グッバイ、レーニン!」 (2003/独)

amazon ASIN-B0002VL6PUドイツ歴代興行記録を更新するほどに本国ドイツで大ヒットしたらしい「グッバイ、レーニン!」を観た。
東ドイツでの政治活動に没頭する母が心臓発作で倒れて意識不明状態になり、次に目を覚ました時は八ヶ月もの時間が過ぎていた。
その間にベルリンの壁は崩壊して東西ドイツは統一されていたけど、余りにも東ドイツを愛していた母が真実を知る事で激しいショックを受けて心臓に負担をかけないように、息子はいまだ東ドイツは健在であると嘘をつき通す事を決意する。
息子が母を情報操作するために新ドイツの食品のパッケージを旧東ドイツのものと張替え、偽テレビ番組を捏造し、ニセ少年団を派遣し、周りを巻き込んでありとあらゆる手立てで大掛かりな嘘を吐き通す様がコミカルに描かれる。というものである。


確かに母想いの良い話なのではあるけど、ずっと嘘をつき続けるのは何か余り見ていて気分の良いものではなかった。一人でするならまだしも、その嘘のために余りにも多くの人を巻き込みすぎだし、結果として多くの人に嘘をつく事を強要している事にもなっている。
たとえ相手のためを思ったことであっても、真実を知らせないための嘘は、結局相手が真実を受け入れる度量が無いと低く見積もる事でもあるし、相手自身を信用出来ていないことでもある。と思う。
どうしても嘘をつき通す事が出来なくなった息子は余りにも離れてしまった現実と嘘との空間を埋めるために、最後に一つ更に壮大な嘘をつく事になるわけやけれど、結局それは彼自身の現実への願望でもあるようにも見えた。
日本人が終戦をどのような気持ちで迎えたかと言うのは立場や人や組織によって全く違ったように、東西ドイツの統一と言うような感じの事件は、マクロなレベルで見れば喜びでしかない話やけど、この映画のようなミクロなレベルで見れば悲劇を引き起こす原因でもある。という所は当たり前やけど忘れがちな感覚であろう。
彼の最後の嘘、つまりは彼自身が東西ドイツの統一と言う事実をまた別の方向とやり方で行われたものとしてニュースにしたように、何かしらの今まで自分のアイデンティティーになるほどのものが大きく根本から変わる時には、ただ現実を受け入れるだけでは余りにも辛すぎるので、何かしらの歴史解釈と言うか神話のようなものが必要なんやなぁとと思った。
しかし、それも厳密に言ってみればやっぱり嘘でしかない。攻撃的嘘、防御的嘘みたいなものがあるにしろやっぱり嘘は嘘である。
うーん嘘って何だろ。と思った映画でした。

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