岡本喜八 「近頃なぜかチャールストン」(1981/日)

amazon ASIN-B0009S8G0O最近近所のレンタル屋さんにようやくにして入った岡本喜八作品である「近頃なぜかチャールストン」を観た。
今の日本国に幻滅して日本国民たる事を拒否して、はたから見ればどう見ても仲良しグループにしか見えない「ヤマタイ国」なる独立国家の閣僚である事を選んだ老人たちの、定年間際の刑事や金持ちのドラ息子への関わりが物語がコミカルなタッチで描かれる。
大きな価値転換に取り残されたと言うか受け入れる事の出来なかった「戦中派」である彼らの選んだ「ヤマタイ国」独立なる手段は、転換後の社会に対するささやかな抵抗であったり回答であったりを選択した結果なのやろうけど、余りにもチープな発想と手段であるが故に毒気を完全に抜かれているように見える。
しかしながら、独立国家の樹立なる発想は完全に今までの国家を否定して関わりの無いものだという道を選んだと言う事でもあり、実は完全な日本国の拒絶でもあるところがちょっと怖い。


とは言っても、老人たちの拒否した日本国への憎しみとか怒りであるとかは殆ど見えず、彼らの日本国からの独立は、牛乳泥棒であるとか新聞泥棒であるとかスリといった、日本国から見れば小さな犯罪行為で示され、彼らは日本国から見ても「不良老人」であるとしかみなされない。
終戦ショックでちょっと妄想が入った戦中派の老人の話は、現代的に言えば既存の価値や価値転換についていけない小集団での話、ともなるわけで、実はとても根の深い問題を扱っているとも言えないこともない。
彼らが提示する問題が馬鹿げていれば馬鹿げているほど、彼らの言動がおかしければおかしいほど、問題の根は深いという構造になっているわけやけど、しかしながらこの物語はそれらの問題に対する改善策やとか解決策をなんら提示しているわけでもなく、ただ彼らの周りからのズレっぷりとおかしさを描いているだけである。
物語の最後の最後までその「日本国」と「ヤマタイ国」の価値やら見方のズレは修正も融和も統合もされる事無く終わるのが中々に怖い。
と、激しく可笑しいほどに深読みして感想を述べて見ればそんな感じである。
と、今まで書いた事を否定するようでなんやけど、実の所この映画はただの妄想非行老人達のコントである。
岡本喜八の作品におおむね共通して言えるのではないか?と思う事やけど、映画自体は確かに面白い。
全体的にウィットと笑いに富んだ作りで、殿山泰司がハチマキを巻こうとしてつるっと滑るシーンは見るたびに笑えるし、アイスピックを使う凄腕の殺し屋と、特攻崩れの元ヤクザ田中邦衛の対決など娯楽的要素は盛りだくさん。
確かに面白いけど、これを映画として撮る必要が何処にあったのだ?と言う感じでもある。
まぁ、各家庭にテレビがあるわけでもなく、娯楽が映画位しかなかった時代の作品やからしょうがないと言えばしょうがないんやろうけどね。って、これ1981年の映画やん!

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