2016年8月28日

冒険者土偶、巨大ヤモリを捕獲せよ

部屋に巨大ヤモリが出没したので何とかしてほしいと依頼が入り、出かける用事もあったのでついでに寄ってゆくかということで依頼を受ける。
ヤモリが部屋にいるとかむしろご褒美やん。と思いつつもそこは創世記の昔から蛇とか爬虫類と女子の間には敵意が存在するのだ。

主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は
あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で
呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」
 創世記3:14~15

早速現場に赴くもターゲットの姿は見えず。物陰という物陰を捜索して対象を肉眼で確認。巨大ヤモリと聞いていたが実際に出現したのはほんの生まれたばかりの小さい小さい子ヤモリであった。

ヤモリだろうが怪魚だろうが人間関係だろうが恐怖の対象は実際よりもはるかに大きく見えるものだ。
どんくさくオロオロする子ヤモリを難なく捕獲、子ヤモリゲットだぜー。

 

手の中でもぞもぞ逃げようとする子ヤモリはかなり可愛らしい。
「森へお帰り。特定の人類と爬虫類は同じ世界に住めないのだよ、そのうちにゴキジェットとかで攻撃されれば全面戦争になってしまうやもしれぬ。」とを外に開放してミッションコンプリート。
報酬は北山紅茶館でヌワラエリアを一杯。駆け出し冒険者にはまずまずの依頼だ。

しかし、このような討伐系の依頼を受けてゆくと、野良犬が近所に住み着いたので追い払ってほしい。庭先にスズメバチの巣ができたので駆除してほしい。とエスカレートしてゆき、
そのうち「村のはずれにオークが巣を作って畑を荒らすので群れを殲滅してほしい。」「ワイバーンが飛来して家畜をさらってゆくので迎撃してほしい。」となり、
そして最後には「ドラゴンに姫がさらわれたので救出してほしい。」とかいうどこの勇者様だよ!というトンデモ依頼にエスカレートしてゆくのだろうなぁ。

2016年8月23日

「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」@伊丹市立美術館 岡崎京子とニーチェとバタイユとフェミニズム

伊丹市立美術館で開催されている「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」に行ってきた。

結構マイナーな展覧会らしくあまり情報がなく、この春に世田谷文学館で開催されてから、夏に私の行った伊丹市立美術館と冬に福岡県で開催されるだけであるようである。

この展覧会では岡崎京子がまだ子供時代だった頃に戯れに描いたイラストから、学生時代に掲載された作品に始まり、書籍化されている代表作の原画だけではなく、単行本化されていない原稿やファッション誌から情報誌からサブカル誌からロリコン漫画誌までありとあらゆるメディアに載ったマンガや文章といったものも展示されていてその情報量は膨大だった。
岡崎京子の生い立ちから作品群やその時代背景や解釈や文化的ポジションまでを網羅する、岡崎京子を知らない人にも楽しめるような構成でありつつも、ごく最近に出た数冊を除いて岡崎京子の書籍化されたほぼすべての作品を読んだ私のような密かな岡崎京子ファンにも十分満足できる良い企画展だった。

展覧会そのものは大きく4セクションに分けての展示がなされており、それぞれ、
SCENE1が「東京ガールズ、ブラボー!!」
SCENE2が「愛と資本主義」
SCENE3が「平坦な戦場」
そしてSCENE4が「女のケモノ道」
というテーマになっている。
一見時系列で彼女の作品群を区切ってテーマ分けしているように見えて、実は発表された時代ではなく内容によって区切られおり、なるほど見事な起承転結のこのテーマ区分とセクション分けそのものが一つの岡崎京子解釈だなぁという気がする。
サブタイトルとなっている「戦場のガールズ・ライフ」、これこそを岡崎京子が描こうとしていたものとして見るスタンスだな。

SCENE1でブランドや飲食店や音楽などの固有名詞が飛びかう会話を交わしながら軽く生き抜く様を描く『東京ガールズ、ブラボー!!』で情報過多で欲望に翻弄される都市生活を営む少女の日常を描き、
SCENE2と同じ「愛と資本主義」がテーマの「マンガが文学になった」とまで言われた『pink』で描かれる、食費のかかるワニを買い、大好きなピンク色のものを買い漁るために昼はOL夜はホテトル嬢という生活を楽しく営む女子は、資本主義社会に属しながらも何処か違う形で組み込まれることでささやかな違和感を表現しているように見える。
SCENE3ではバブル経済が崩壊した不穏な社会情勢の中で、ゲイである自分と世界に折り合いを付けることのできない少年と、過食嘔吐を繰り返しながらモデルとして活動している少女と、どこにでもいそうな平凡だけどそれなりの不安と問題と葛藤を抱え込んでいる少女の三人が河川敷に打ち捨てられた人の死体を眺めることで精神的安定を保つ様を描く『リバーズ・エッジ』を「平坦な戦場」と表現し、
そして、SCENE4ではそんな女子達が歩く「女のケモノ道」が描かれる。
全身を整形してサイボーグのように完璧なルックスでもって芸能界をサバイバルしようとする「りりこ」の物語『ヘルター・スケーター』のようなアグレッシブな路線だけでなく、
一方で時代的にはpinkと同時代に発売された、仲良し女子3人組の面白おかしく語られる会話のみが描かれる『くちびるから散弾銃』の限りなくソフトで軽い路線ももこのセクションに入っていて感心する。

岡崎漫画に登場する主人公は大抵誰も魅力的で美しいけど、そこに出てくる男性はほとんど例外なく魅力が無いと言い切ってしまっていいと思う。
彼女の描く女子は恋をしたり男を利用したりしつつも、彼女の描く物語の根本のところで男性は必要とされておらず不在であるように思える。
そういう意味で言えばこの展覧会での岡崎京子の描く「女のケモノ道」や「戦場のガールズ・ライフ」はフェミニズムのひとつのあり方であると捉えることができるかもしれない。

彼女の作品群は映画、小説、音楽、現代思想からの引用が多い。
かと言って彼女の登場する人物がそういった傾向を持つのかといえばそれは全く逆である。
登場する人物は基本的に何かに熱中することがなく、何かを創造したり何かを解決したり何かを考えたりはしない。
スポーツや創作活動や何かしらの「道」に邁進することももなく、過食嘔吐だろうがLBGTだろうが家族の不和だろうがそれらに向き合ったり折り合いをつけたりせず、それらについて深く思考する素振りすら見せない。
みんななにかしらちょっとした悩みと違和感を抱えながらも何も考えずただ消費者原理に首まで浸かり欲望のままに流されてゆくだけだ。
彼ら思考する主体ではない消費活動だけを行う登場人物から浮かび上がってくる現実のその様がリアルに感じられとても素晴らしいのだ。
ただの小難しい文学かぶれの漫画と彼女の漫画が根本的に違うのはこの部分にあるように思う。

そして彼女の作品にはその文学性に相応しい美がある。
今まであまり触れられることも言及されることもなかったけど、
ある男が好きでたまらない女子大学生がが体の関係だけでいいからとその男子に迫り、夏休みに一週間彼の性的な奴隷にまでなって結果的にフラレてしまう『私は貴兄のオモチャなの』という作品が私は大好きだ。(ちなみにこの展覧会ではこの『私は貴兄のオモチャなの』の主人公星子がステッカーになっていてとてもびっくりした。)
若いころの恋愛のあまりにも極端な形が、男性側でなく女性側の目線で描かれていることで、オッサンである私は過去に身近に接していながらも決して理解できなかった世界の一端に触れたような気になった。
最後の1日で恋人として付き合うことを諦める代わりに公園でデートして船に乗るシーンはポランスキーの「テス」を思わせるし、
そして何事もなかったように家に帰ったあとの日常の一コマを描いたこの物語の最後の方のシーンもとても美しい。

若さゆえの奇跡の美しさをただ無闇に消尽させる様はまるでバタイユではないか。
このバタイユ的な美しさこそが岡崎京子本質ではないだろうか。

ストーリーとしてはブラックで醜くて重たいものであるけど、全体としてとても軽いトーンで貫かれている。
変に問題提起も告発も暴露もせずただ淡々何も起こっていないようにすら見える。この軽やかさが岡崎京子の持ち味だ。

全てを賭けた恋に絶望的に破れ、体も心も文字通りボロボロになって生還したものの、結局何も成就されず解決されなかった物語のラストとしては、
この最後のページはあまりに軽やかだ。

岡崎京子は

「いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも、たった一人の。一人ぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。」

と書いている。

一方でニーチェはツァラトストラにこう語らせている。

「人間において愛しうる点は、かれが過渡であり、没落であるということである。」
「わたしは愛する、没落する者として生きるほかには、生きるすべをもたない者たちを。それはかなたを目ざして超えてゆく者だからである。わたしは愛する、大いなる軽蔑者を。かれは大いなる尊敬者であり、かなたの岸への憧れの矢であるからだ。わたしは愛する、没落し、身をささげる根拠を、わざわざ星空のかなたに求めることをせず、いつの日か大地が超人のものとなるように、大地に身をささげる者を。」

まさに岡崎京子に登場するキャラクターのことではないか。
岡崎京子作品は、ニーチェ目線でバタイユ的な美を描いているのだ!

と話が大げさになってきた所で今日のブログは終わり。
無闇に長い上に、「岡崎京子展」じゃなくって「岡崎京子」の話になったな…

ということで、展覧会後のお昼に近くで食べたパスタとピザが美味しかった。

あまりに熱中しすぎて昼前に入ったのに出てきた頃にはとっくにランチタイムが終わっている程の充実した展覧会、
「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」@伊丹市立美術館 は9月11日(日)までだ。急げ~

 

2016年8月22日

京都市美術館の「ダリ展」と京都文化博物館の「ダリ版画展」、そして京都国立近代美術館

先日、京都市美術館で開催されている「ダリ展」、その向かいの京都国立近代美術館のコレクション展、そして京都文化博物館の「ダリ版画展」と3つの展覧会をはしごしてきた。

サルバトール・ダリなる人物は生まれつきの天才で、奇人で独創的なシュールリアリズムの画家というイメージがある。
しかし、若いころはモネ風な印象派だったりピカソ風キュビズムだったり、マティス風フォービズムっぽい絵を描いたりしていたし、彼が自身のスタイルを確立してからもシュールリアリスム的モチーフの主な源泉だった夢を記録するために、椅子の背にスプーンを置いて寝て、寝入りそうになるとスプーンが落ちて目が覚める。という涙ぐましい努力を密かに行っており、根っからの先天的な天才というよりはある程度作られた部分があるように思う。
彼自身も「天才になるには天才のふりをすればいい」という言葉を残しているくらいだ。

彼の「いかにもダリ」という作風が芽生え始めるのは彼の生涯の伴侶となったガラと出会ってからで、後の彼の「奇人ダリ」という一つの世界を、作品からキャラクターから言動までのすべてをプロデュースしてコントロールしていたのはダリ自身ではなく、彼のミューズであり支配者でもあったガラだという話は有名だ。
ダリよりも10歳年上だったガラはずっとダリの妻でプロデューサーでありつつも堂々と若い芸術家の恋人たちを複数人面倒を見て、一方のダリも晩年にはガラ公認のアマンダ・リアなる40歳年下の恋人がいた。
一般的には少し歪んだ夫婦関係に見えるけど、それでもガラの死後のダリが創作活動を拒否して閉じこもり後を追うように死んでしまったくらいで、お互いはお互いを生涯特別な存在として愛し添い遂げたことだけは間違いない。

で、京都市美術館の「ダリ展」について、

彼の生涯にわたっての作品を網羅的に扱うこの展示会ではそのダリとガラの関係を突っ込んで考察したり解説してあるかと期待したのだが全然そうではなかった。
ガラに関しては1つのコーナが設けてあったのだが、結局「ガラは彼にとってミューズでありプロデューサーであった」みたいな、そんな知っとるわー的なことばかりで、結局ダリにとってのガラの魅力とか、ダリはどんな影響をガラから受けたのか、そんな事は全然わからず仕舞いだった。

そういえば、以前、フランスの画家バルテュスが45歳の時に人里離れた城館で15歳の恋人の少女と2人だけでほとんどだれとも合わずに8年間暮らし、その間はほとんど田園風景とその少女の絵しか書かなかった事実を同じく京都市美術館でやってた「バルテュス展」で完全スルーされていた事を書いたことがあった。
→「バルテュスを通してロリコンと美を考える

こんな感じのでっかい美術館での大規模展覧会では無難なところはオブラートとどころか完全スルーされる傾向があるなー

この展覧会で私が一番「おおっ!」と思ったのは「不思議の国のアリスの挿絵」だろうか。
19世紀末から現在に至るまでの芸術家の多くがそうであるように、ダリも純粋芸術たる絵画だけでなく、商業デザインから舞台演出から建築から本の挿絵に至るまで実に様々なジャンルに関わっており、その「不思議の国のアリスの挿絵」もそんな中の1つだ。

しかし挿絵と言いつつも前もって知っていなければ「不思議の国のアリス」とは分からないダリっぷり、ダリは何を描いてもダリでしかない。
その扉絵1枚と挿絵12枚のどれもがシュールなのだが、注目すべきはこの1枚「狂気のティーパーティー」だ。


この挿絵に描かれている蝶が実際に存在する蝶であることは昆虫好きな人から見れば一目瞭然だろう。
この蝶のほかにもほかの挿絵に登場するナナフシだのカミキリムシだの昆虫だけが妙に写実的なリアルさを持っているのが変に印象に残る。
蝶の模様といえばいかにもシュールにデザインできそうなものだけど、模様を考えるのが大変だから図鑑なり写真ををそのまま写したんじゃないかという気がしないでもない。
このあまり写実的な絵が、ダリにすれば逆にあまりに適当すぎるようで笑った。

で、そんなダリの挿絵やらなんやらの版画に特化した京都文化博物館の「ダリ版画展」である。

このパンフレットの蝶がすでに不思議の国のアリスの挿絵と同じく写実そのものでちょっと笑ってしまうけど、絵ではなくコラージュなのであまり違和感はない。
京都市美術館がかなりの人出だったのに引き換え、この版画展は人も少なくて心地よかったし、網羅的な「ダリ展」に引き換え、円熟期以降の「版画」に絞ったこの展覧会はテーマが明確でその分内容も濃かったように思う。
例のごとく言われなければそうとはわからないダンテ『神曲』の挿絵も、「実は神曲を読んだことがない」と5年後にダリが告白していると解説したり、日本の民話につけた挿絵を「明らかに内容と関係ない」と解説したりなかなか可笑しかった。

『神曲』は読んだことがなくてもそれらしくイメージして適当な挿絵を描けるような気がするけど、昔話の「花咲か爺さん」の挿絵でシュールなドラゴンらしき生物とシュールな馬らしきものに乗ったナイトらしきものが戦っているのには笑った。いやいや、絶対そんなん出て来んしね。
「昔話言うたらドラゴンと騎士やろー」的な安直な発想が透けて見えるようである。
本文を全部読まずに評論を描いたり、映画を見ずに解説したりするという話はよく聞くけど、本文を読まずに挿絵を描いてしまうダリの天才っぷりは素晴らしい!
いろいろな方向にぶっ飛んだダリの芸術性だけでなく、適当さだとかお茶目さも伝わってくるような展覧会だったと思う。

そして、その2つの間の展覧会の間に京都市美術館の向かいの京都国立近代美術館の常設展に寄ってきた。
去年に所蔵したというクリムト、ココシュカ、そしてエゴン・シーレの素描やら版画で構成された「ウィーン世紀末のグラフィック」コレクションが目当てだったけど、展示自体がとても少なく、それよりもマネキンを使った作品群の「キュレトリアル・スタディズ11: 七彩に集った作家たち」がとても面白かったし、ミュージアムカフェの甘々トーストもおいしかった。
やっぱり私は現代アートが好きなんだなと。そしてもうダリはもうすでに古典なんだなーと思ったのであった。

 

 

  

2016年8月10日

旅行が好き

1年ほど前からなんとなく旅行の合間に生きているような気がする。

それまでは何かしらのおぼろげな目標のようなものはあった。通過地点も方法もわからないけれど、それでも、少なくとも目指すべき方向性というものはあった。
しかし、突如それが消えてしまうと、走性の方向を見失い、残存する快不快の欲求原理にしたがってのみ行動する微生物のように、数ヶ月の間隔で数泊する旅行に行き、美術館や博物館をひたすらめぐり、音楽と本と位置情報ゲームに時間を割くような生活を送ってきた。

とはいえ何かに盲目的に没頭したり熱中するわけではなく、不思議と平坦な興味や感情のままそういった対象と向かい合っているように思う。
「すべてがどうでもいい」というほどの情熱的な否定ではなく、「大抵のことはわりとどちらでもいいかな」といったフラットな感覚を生きているような、かつて楽しかったり面白かったり好きだったりといった過去の欲求の残滓が行動原則となっているような、そんな感じであろうか。

ずっと昔、私は旅行があまり好きではなかった、しかし10年ほど前から旅行が好きになり、そして1年ほど前から何人かで出かけても別行動をしたり、特定のイベントや晩御飯のみ合流する、といったような旅をするようになり、ますます旅行が好きになった。

旅行の良いところは心情的には現実逃避でありながらも、実際的には拡張現実にしかなり得ないところであろうか。
完全に現実と切り離された仮想現実世界に落ち込んでしまう危険もなく、かといってガチガチの抜き差しならない現実と向き合わずに済むし、そしていつかは強制的に現実に戻らされる時間が訪れる。

この1年ひたすら楽しい旅をして、面白い本を読んで、面白い展覧会を見て、過去の旅も、過去のあれやこれも、過去の私も、もしかしたらああすれば楽しいものになったかもしれないな。あれはこういうことだったんだな。
と思うことが時々ある。

それは少ししょっぱい様な甘酸っぱいような感覚だけどwでも、それはほんの少しの自分の成長として感じられる。

とはいえ、目的のない成長にあまり意味がないようにも思える。
成長そのものを目的とする成長は、多くのオタクがそうであるように手段が目的となった感がある。
「成長オタク」とか私が最もなりたくない人種の一つだな。

ということで、ゆる~く旅行写真とかもアップロードしようと思うのであった。

2016年4月25日

あれから10年も、この先10年も

半年間このブログを放置していたけど、それでもずっとこのブログのことはそれなりに気にかけてはいた。
しかし気がつけばこのブログを書き始めて10年も経っていて、いったいこの10年間は何だったのだろうかとw

もうずっとブログを書くにも書こうと思う事がそれほどなかった。と思いつつも、ほぼ毎日更新していたころは何について書くかを決めてから書き始めていたのではなく、とにかく何でもいいから書き始めているうちに何かを書いていた。という感じであった。
今もそういう風に書けばいいのだろうけど、実際何かを書き始めると、色々な関係性を考慮してこれは書くべきではないなと、手が止まる事が多すぎるような気がする。
10年経ってますます、もう後戻りできないほどに内向性が増しているように思う。

最近、と言っても半年ほど前だけど、この一年ほど減っていた読書量が増え、このブログを書き始める以前に読んだ本を読み返すことが多くなった。
十年以上前に読んだ本を読み返せば当然印象も理解も変わってくるので、そのあたりを取っ掛かりにまたここに感想を書いていこう。
と、思うだけで、今日のブログは終わり。

 

2015年10月27日

大原美術館再訪/熊谷守一と地獄変/下手も人生のうち

先週の末に友人たちと倉敷に行って来た。
友人たちはレンタルサイクルを借りて、いわゆる「美観地区」をぐるぐる巡るスタンプラリーのような事をやっていたのだが、私は独りでほとんどずっと大原美術館にいた。

二年前に行った時は時間的に制約があったので思う存分堪能したとは言い難く、大原美術館はええとこやーという事だけがわかった状態だったけど、今回は好きなペースで心ゆくまで大原美術館を堪能できたように思う。
週末だけあって大原美術館周辺は観光客でごった返していたけど、美術館内は人もまばらでとても心地良かった。

前回一番衝撃を受けたのは熊谷守一の「陽の死んだ日」だったけど、今回もその衝撃は変わらなかった。

実物を目の前にして盛り上ったり叩きつけられたりしている油絵の具の流れを見ていると、ただただ圧倒的な激情のようなものが湧き上がってくるように感じられる。

なぜか絵を描けず収入が途絶え、妻が絵を描いてくださいと懇願する中、絵をかけないまま次男の陽を医者に掛からせることも出来ずに死なせてしまった彼は、幼くして死んだ息子の枕元で突然絵筆を手にとって30分ほどでこの絵を描いてしまったらしい。
我が息子が死にそうになっているのに、その息子を救うために絵を描けなかった彼が、その息子の死を題材にして絵を描いたわけである。

この絵を見る人は彼の画家としての業の深さのようなものを目の当たりにすると同時に、その業の深い絵に対して圧倒的な感動を覚えている自分に気付くのである。
そして、絵を描いた彼だけでなく、彼同様に自分の中にもある、そして人間存在一般の中にある業の深さのようなものに目を向けることになるのだ。

陽を失ってから25年後、彼が67歳になった時、彼は次男だけでなく長女の「萬」も失い、その火葬の後に家に帰る様子を「ヤキバノカエリ」という絵に描いている。

抉り取られるような痛みと激情があふれるような「陽の死んだ日」に比べると、圧倒的に静かな喪失感のようなものが感じられるけど、
それでも淡くてコントラストの低い世界の中で長女のお骨とそのお骨を持つ長男の明暗の差はやはり「陽の死んだ日」に通じるものがあるように思う。

若い頃は「野獣派」にカテゴライズされる「陽の死んだ日」のような絵を描いていた彼は、やがて「ヤキバノカエリ」のようなシンプルな絵を描き始め、晩年はひたすら庭の虫や花を題材に殆ど子どもの書くような絵になっていった。
彼は、上手であるという事は先が見えていて行き先も分かってしまうけど、下手であることはどうなるか分からないしスケールが大きい。という意味のことをインタビューで答えていた。
そして常々「上手い絵を書こうとは思わない」と言っていたとおり、晩年の彼の絵は自らの絵を「下手も絵のうち」と表現するほどに極限までシンプルに削り取ってゆくわけである。

考えてみれば、絵を描くことしか出来なかった彼が絵を描くことが出来ずに子どもを死なせてしまい、殆ど画壇に属さずアウトサイダーであり続け、誰から見ても野心も競争心も虚栄心も感じられず、やっと晩年に認められながらも文化勲章も勲三等も辞退するという、とても不器用な生き方しか出来なかった。
彼の生き方は上手く立ち回った他の画家たちに比べてとても下手だったといえるだろう。
後に彼は「仙人」と呼ばれるような隠遁者のような静かな生活を手に入れて晩年をすごすわけであるが、
彼が目指した「下手も絵のうち」の画風は自らの下手な生き方を「下手も人生のうち」として肯定する1つの試みであった。とも言えるかもしれない。

芥川龍之介の短編に、画家が地獄絵図の屏風絵を完成させるために溺愛していた我が娘が牛車に乗ったまま焼け死ぬ様を描く『地獄変』なる物語がある。
その画家良秀は絵を完成させた後に自ら死を選ぶわけだけど、
同じく何も出来ずに死なせてしまった子どもたちを描いた熊谷守一は97歳まで生きて天寿を全うした。
彼が自ら背負った業に押しつぶされることなく、また決して自らその業を自分もろとも投げ捨ててしまうことなく「下手も人生のうち」として人生を生き抜いたところに彼の偉大さがあるように思う。

このエントリーを書くために熊谷守一の事をネットで調べていたのだが、色々な切り口はあれど、ある程度方向性は同じものが多い中、
1つのビジネス雑誌系のサイトで「長生きするってすごい!97歳まで生きて、最後まで裸婦を描く」というあまりにも脂ぎったタイトルで他のものとはまったく違う毛色で熊谷守一のことを紹介している記事があってとても驚いた。
アカウントを取得してログインすると続きを読めるタイプの記事だったので続きは全く読んでいないけど、なんとなくどういう読者層に対するどういう記事なのかは予測できるような気がする。
そんなもんわざわざ熊谷守一なんかを紹介するんじゃなくってアンチャン藤田嗣治でも特集した方がええんちがうか?

なんというか、人は自分の理解したいようにしか他人を理解しないというのがつくづく分かった。
たぶん私も熊谷守一のことを自分の理解したいようにしているのだろうな。そして色々な人も同様に。

  

2015年10月26日

ブログを気分的にリニューアルする

「降りかかって来た」と見えるものを後から見てみれば、ゆっくりと段階を踏んで着実に積み上げられ、そしてそれが必然的に崩れたものである事がよく分かるし、
断ち切られたかに見える時間の繋がりも、よく見れば徐々に細くなってやがて切れてしまったものだという事が理解できよう。
マクロ的に突発的な災害に見えるものは、ミクロ的に見ればいくらでも予測も回避も可能だった予見可能なものであったという事になる。
そして、何かが切れ、何かが崩れ、何かが終わるということを、肯定的に一般論で言えば、そこを区切りとした何かの始点であると解釈することも出来るわけだ。

とはいえ「区切り」というものを連続性を断ち切った1つの印として肯定的にとらえようとしても、どう見ても連続性の中の特定の一点を指し示す単なるマーカーにしか見えないこともある。
全体を大いなる発展と進歩と繁栄の歴史だと捉えると、何かの区切りは新しい連続性の始まりの合図であり、
全体を大いなる切断と崩壊と終了の歴史だと捉えると、新しい何かが始まりはただの一通過点で過ぎない事になる。
結局のところそれは見る者、そこにいる者の歴史観であったり未来感の問題になってくる。

「未来を予測する最善の方法は、それを創造することだ」
というアラン・ケイの言葉があるけど、破滅的終末論的な史観でもって未来を見るということは、破滅を創り出そうとしている事になるのだろうか。

ちょっと新しい事を始めたい、と思いながら数週間ほど経ったけど、結局特に何も思いつかなかった。
とりあえず、このブログのどこかしらでも変えてみようかと思い、ブログの全コンテンツを消してゼロから始めようかと思ったけど、やっぱり勿体無くて出来なかった。
色々なものが移り変わる中、このブログの中に含まれるものはあまりにも古臭い。

そもそも、ブログという形態自体がすでに古臭いのだ。
それでも少し微妙なとここを変えてみた。
気分的にこのブログもリニューアルだな。

2015年10月12日

マグリット展@京都市美術館 / 世界の綻びを押さえる

終わってしまった展覧会の感想を書くシリーズ、今回は今日で京都市美術館での会期が終了してしまった「マグリット展」だー

マグリット展

ルネ・マグリットは20世紀初頭に(正確には1898年やけど)ベルギーに生まれた、向精神薬の販促ポスターのような絵でお馴染みの、いわゆるシュールレアリスムに分類される画家である。

 

 
まぁこんな感じで、観ていると、何時も過ごしている日常が実は見えないところで歪んできているような、なんだか自分の日常の恒常性の土台が緩んでくるような不安が這い登ってくる気がする。
単に常識と知覚の裏をかくような騙し絵的な面白さだけでなく、そこに張り詰めたような不安と脆さと不安定さが同居するところがジワジワ来るわけですな。

こんな絵を描くマグリットであるけど、当然最初からこういう絵を描いていたわけではなく、当初はグラフィックデザイナーやポスターといったイラストレータ的な仕事をしていた。
彼がシュールレアリスムに転じたのは、キリコの「愛の歌」を見て衝撃を受け「キリコはどのようにして描くかではなく、なにを描くかについて理解している画家だ」とか言ったのがきっかけであるらしい。
極端に一般化して言うと、それまでの絵画、つまり、まず聖であったり美であったり恐怖であったり醜であるといったようなテーマとしてすでに決定されている何らかの対象を「どのように描くか」で勝負する描き方から、マグリットは「なにを描くか」ということそのものをテーマとする方向に転換したともいえるわけである。

で、そういうマグリットは一体なにを描いていたのか?
かなりうろ覚えやけどこの展覧会の解説で、マグリットの言葉として、私にとって絵とは常に世界から問われ続けている問題に対するひとつの回答の提示である。たとえばリンゴ、椅子、空、などが常にその存在の意味を強く私に問いかけてくるのだ。というような意味のことが書いてあった。
普段我々は日常的に暮らしている世界で、マグリットのようにリンゴやら椅子やら空に意味を捜したりすることなんかほとんど無いし、ましてやそれらからその存在の意味を問われたりすることなど無いだろう。
自分に関わるあらゆることに意味を求めだすという状態は、どちらかというと統合失調症的な状態、たとえば目の前を横切る車のナンバープレートの数字に、テレビのニュースに、今日の天気に、何か大きなものから自分に対するメッセージや意図やほのめかしを見出そうとするような状況に近いように思う。
実際に「目に映るすべてのものはメッセージ」という状況を想像してみるとメッセージを受け取るだけで精一杯で、世界に安らぎなんか無いような気がしてきますな。

これはマグリットがどういう風に世界を捉えていたのか、そして何を描こうとしていたのかという一端をとても表しているように思える。
マグリットにとって世界は常に自分にその存在の意味を問いかける場であり、彼は絵を描くことでその問いに答え続けてきた。とも言えるわけで、
彼は生涯を一銀行員として、幼馴染の妻と添い遂げて過ごし、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝し、絵の創作についてもアトリエを持たず食堂で行い、決して服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることはなく、「芸術家」でイメージされるのと正反対の可能な限りの几帳面さを維持しつつ慎ましく生活していたわけだけど、一方で彼は13歳の時に母を入水自殺で失うという経験もしている。
端的に言って、彼が可能な限りの秩序と幸せを維持して生きていた世界は、一方で母が突然自殺してしまうような世界でもあるわけである。

彼が、美しく平穏に秩序だって見える世界が実は裏を返せば混沌と不条理に満ちており、ちょっと油断すればそんなものが世界の裂け目から噴出してくるのではないかといったような印象を持っても当然であるように思えるし、彼が秩序と理解の彼方を行く世界を描きつつ、実際の彼は完全なる秩序を保った暮らしをしていたという事実は、彼は彼なりに世界の秩序を維持しようと努力していたような印象すら受ける。

言うまでもなく、いくら世界が美しく秩序だって平穏に見えたとしても、その背後に醜くて混沌とした不条理の世界が表裏の関係のように隠れているのだろう。
そんな世界の中でマグリットが彼なりの戦いを繰り広げていた事が分かるような気がするし、彼は世界という見えない敵と戦いながら、その謎を暴露しつつ、そしてその綻びを必死に押さえていたのかもしれない。

この展覧会には彼の描いた実にさまざまなシュールレアリスム的な絵が沢山あったけど、私はこの「出現」という絵が一番グッと来た。
彼が良く描く「青空」の世界を表、あるいは日常の側だとしたら、このカラフルな鎖が浮かぶ暗雲立ち込める世界は一体どこなのだろう?そして何が「出現」しているのだろう?

見ているとなんかこう胸を締め付けられるような感じがしますな。

  

2015年10月10日

猫パンチが暴力に見えないように、雑草は遷移する。

今年もノーベル残念賞だった村上春樹の初期の作品を先日から読んでおり、今は『羊をめぐる冒険』の終盤に差し掛かったところ。

村上春樹はこの『羊をめぐる冒険』の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』あたりから失ったものやら隠されているものやらを「取り戻す物語」にシフトしてゆくような印象を私は持っており、彼がノーベル文学賞候補になるほどに評価されているのも、どちらかと言えばこの「取り戻す物語」の方向性であるように思える。

このノーベル文学賞候補としての村上春樹とあまり関わりのないようにみなされる、いわゆる初期三部作、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は「僕」と「鼠」が20代の10年ほどのあいだの「喪失の物語」と言い切ってしまってもいいだろうと思う。
この三部作ごとに「僕」と「鼠」は色々なものを失い続けてゆき、三部作の最後で「鼠」自身の存在が失われることでその「喪失」は完成するわけである。

とは言っても、「鼠」と「僕」より遥かに年上になったせいか、昔はやたらとシンパシーを抱いたはずの彼らの「喪失」がそれほど身に染みてくる事はない。
『1973年のピンボール』で鼠の苦労に対して「もっともそれはどう眺めまわしても苦労といった類のものではなかった。メロンが野菜に見えないのと同じことだ。」って書いてあったけど、
彼らの「喪失」があまり「喪失」と呼べるほどのものに見えなくなっている自分に笑える。
村上春樹風に言えば猫パンチが暴力に見えないのと同じことだな。

ふとこのブログでこの本の感想について書いたことがあるのだろうかと思って検索してみると、2006年8月17日に該当するエントリーがあった。
内容がどうこうというよりも、それが今から9年前のエントリーであると言う事に本当にびっくりした。

この9年の自分自身の変わらなさを冷静に考えると暗澹たる気持ちになるけど、それでもそれなりに、私も成長したような気もしないでもない。
それは道端に捨てられた観葉植物が枯れ、その植木鉢に生える雑草の植物相が遷移してゆく程度のものであるかもしれないけど。

  

2015年10月7日

ポール・オースター『最後の物たちの国で』/絶望のひとつの形

かなり昔に読んで圧倒的に強烈な印象を受けて何度も読み返そうと思っていたにも拘らず、あまりにも絶望的な内容を読むのが辛くて気が乗らず、一回しか読み直していないポール・オースター『最後の物たちの国で』を久しぶりに読み返してみた。

内容は中上流階級の主人公アンナが、記者の兄が取材のために入って消息を立った国に単身乗り込むが、あらゆる秩序と未来が消えたその町で兄を探すことも帰ることも出来なくなり、野宿やら居候やらをしながら、ひたすらサバイバルしてゆく様を書簡形式で綴ったものである。

「個人」が完全に否定されてないがしろにされる絶望的な世界は実に様々な形を取りうる。
ある場合は世界秩序が根本から崩壊し、ある場合は巨大な規模の破壊的なパンデミックで、ある場合は完全な管理社会が構築される事で絶望が世界を覆う。

しかしこの物語は、北斗の拳的なヒャッハー!な世界でも、コインロッカーベイビーズのようなダチュラな世界でも、1984のようなビッグ・ブラザーな世界ともまったく違う、ジワジワ忍び寄ってくるような絶望に取り囲まれた世界が描かれる。
以前読んだ時はあまりにも現実離れした近未来的なディストピアな世界であるように感じたけど、久しぶりに読んだ今回はソマリアや南スーダンといった失敗国家のさらに進んだ形に思えた。
ポール・オースタはこの作品を「20世紀の現代の寓話」であるとみなしていたけど、21世紀の今となってみればそれはまさにすぐそこにでも起こりそうな現実的な物語なのだ。

医療、電気、水道、通信といったインフラが失われ、あらゆるものが、人から物から概念から記憶まで、道路すら瓦礫とごみに埋もれることで日々消えてゆき、警察は利権をむさぼり、産業や社会が停止して日常的な略奪、暴行、殺人に取り囲まれて全体がスラム化した街で殆どの人は路上で寝泊りして何かを拾うか盗むかしながら日々を生きている。
人は死ぬばかりで誰も生まれてこないけど、なぜか人は減らずどこからか補充されているように思える。
この街に来るまでは何一つ不自由の無い人生を送っていたはずの主人公は生き残るためにありとあらゆるもの、プライドから記憶から人間的感情から性別まで、最後には自分をも捨てることでゴミを拾いながら生き残りながらも、ほんの少し得る事の出来たささやかなものはそれ以上に損なわれ失われる。
本の中に描かれる物語は思いつく限り絶望的に展開し、主人公はそれに輪をかけて絶望的な状態に追い込まれてゆく。

色々な物語で「個人」を押しつぶす「絶望」を象徴するものは圧倒的な「暴力」であったり、逃れる事の出来ない「パンデミック」であったり、すべてを観て強制し管理する「目」であった。
しかし、この本の世界で圧倒的に絶望的なものとは、無法地帯となった環境や状況、あるいは主人公を取り巻く運命であるというよりも、生きるために「今」だけに注力しなければいけないことなのだ。
何かしら現実と乖離した事、空想は勿論、まだ世界がまともだった過去の事や、いつかは報われるであろう未来の事を考えたり思い浮かべればそれだけ「今」から注意が逸れて隙が出来る。
そんな事に何かしらのエネルギーを注げば、今日を生き残るための何かしらのチャンスを逃したり、酷い場合には他人から自分の持ち物や命を奪われる事になったりもするのだ。
つまり生きる事のすべてを「今」に向けなければ生き残れない事そのものが絶望なのだ。
そしてそれは「暴力」や「パンデミック」や「目」といった外部から降りかかってくるのではなく、自分自身から湧き上がってくる物である所がさらにその「絶望」の深さを物語っているような気がする。

「絶望」があらゆるリソースを「今」に注ぎ込まざるを得ない状況を指すのだとしたら、
未来を思い描きそれに向けて歩むのは言うまでもなく一番理想的な絶望の対局にあるものとなるのはわかるけど、
そんな未来を思い描けずに現実ではない自分の持つ仮想的な世界で、或いは過ぎ去った過去の世界で生きる事を選びつつ現実で生きていけるという事はそんなに不幸な事なのでは無いのかもしれない。
それは個人的なことに限らず、国家から団体までそうであるような気がするし、
なんかこう今まで考えもしなかった「絶望」のあり方を一つ知ったような気がするのであった。

  

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