2016年8月10日

旅行が好き

1年ほど前からなんとなく旅行の合間に生きているような気がする。

それまでは何かしらのおぼろげな目標のようなものはあった。通過地点も方法もわからないけれど、それでも、少なくとも目指すべき方向性というものはあった。
しかし、突如それが消えてしまうと、走性の方向を見失い、残存する快不快の欲求原理にしたがってのみ行動する微生物のように、数ヶ月の間隔で数泊する旅行に行き、美術館や博物館をひたすらめぐり、音楽と本と位置情報ゲームに時間を割くような生活を送ってきた。

とはいえ何かに盲目的に没頭したり熱中するわけではなく、不思議と平坦な興味や感情のままそういった対象と向かい合っているように思う。
「すべてがどうでもいい」というほどの情熱的な否定ではなく、「大抵のことはわりとどちらでもいいかな」といったフラットな感覚を生きているような、かつて楽しかったり面白かったり好きだったりといった過去の欲求の残滓が行動原則となっているような、そんな感じであろうか。

ずっと昔、私は旅行があまり好きではなかった、しかし10年ほど前から旅行が好きになり、そして1年ほど前から何人かで出かけても別行動をしたり、特定のイベントや晩御飯のみ合流する、といったような旅をするようになり、ますます旅行が好きになった。

旅行の良いところは心情的には現実逃避でありながらも、実際的には拡張現実にしかなり得ないところであろうか。
完全に現実と切り離された仮想現実世界に落ち込んでしまう危険もなく、かといってガチガチの抜き差しならない現実と向き合わずに済むし、そしていつかは強制的に現実に戻らされる時間が訪れる。

この1年ひたすら楽しい旅をして、面白い本を読んで、面白い展覧会を見て、過去の旅も、過去のあれやこれも、過去の私も、もしかしたらああすれば楽しいものになったかもしれないな。あれはこういうことだったんだな。
と思うことが時々ある。

それは少ししょっぱい様な甘酸っぱいような感覚だけどwでも、それはほんの少しの自分の成長として感じられる。

とはいえ、目的のない成長にあまり意味がないようにも思える。
成長そのものを目的とする成長は、多くのオタクがそうであるように手段が目的となった感がある。
「成長オタク」とか私が最もなりたくない人種の一つだな。

ということで、ゆる~く旅行写真とかもアップロードしようと思うのであった。

2016年4月25日

あれから10年も、この先10年も

半年間このブログを放置していたけど、それでもずっとこのブログのことはそれなりに気にかけてはいた。
しかし気がつけばこのブログを書き始めて10年も経っていて、いったいこの10年間は何だったのだろうかとw

もうずっとブログを書くにも書こうと思う事がそれほどなかった。と思いつつも、ほぼ毎日更新していたころは何について書くかを決めてから書き始めていたのではなく、とにかく何でもいいから書き始めているうちに何かを書いていた。という感じであった。
今もそういう風に書けばいいのだろうけど、実際何かを書き始めると、色々な関係性を考慮してこれは書くべきではないなと、手が止まる事が多すぎるような気がする。
10年経ってますます、もう後戻りできないほどに内向性が増しているように思う。

最近、と言っても半年ほど前だけど、この一年ほど減っていた読書量が増え、このブログを書き始める以前に読んだ本を読み返すことが多くなった。
十年以上前に読んだ本を読み返せば当然印象も理解も変わってくるので、そのあたりを取っ掛かりにまたここに感想を書いていこう。
と、思うだけで、今日のブログは終わり。

 

2015年10月27日

大原美術館再訪/熊谷守一と地獄変/下手も人生のうち

先週の末に友人たちと倉敷に行って来た。
友人たちはレンタルサイクルを借りて、いわゆる「美観地区」をぐるぐる巡るスタンプラリーのような事をやっていたのだが、私は独りでほとんどずっと大原美術館にいた。

二年前に行った時は時間的に制約があったので思う存分堪能したとは言い難く、大原美術館はええとこやーという事だけがわかった状態だったけど、今回は好きなペースで心ゆくまで大原美術館を堪能できたように思う。
週末だけあって大原美術館周辺は観光客でごった返していたけど、美術館内は人もまばらでとても心地良かった。

前回一番衝撃を受けたのは熊谷守一の「陽の死んだ日」だったけど、今回もその衝撃は変わらなかった。

実物を目の前にして盛り上ったり叩きつけられたりしている油絵の具の流れを見ていると、ただただ圧倒的な激情のようなものが湧き上がってくるように感じられる。

なぜか絵を描けず収入が途絶え、妻が絵を描いてくださいと懇願する中、絵をかけないまま次男の陽を医者に掛からせることも出来ずに死なせてしまった彼は、幼くして死んだ息子の枕元で突然絵筆を手にとって30分ほどでこの絵を描いてしまったらしい。
我が息子が死にそうになっているのに、その息子を救うために絵を描けなかった彼が、その息子の死を題材にして絵を描いたわけである。

この絵を見る人は彼の画家としての業の深さのようなものを目の当たりにすると同時に、その業の深い絵に対して圧倒的な感動を覚えている自分に気付くのである。
そして、絵を描いた彼だけでなく、彼同様に自分の中にもある、そして人間存在一般の中にある業の深さのようなものに目を向けることになるのだ。

陽を失ってから25年後、彼が67歳になった時、彼は次男だけでなく長女の「萬」も失い、その火葬の後に家に帰る様子を「ヤキバノカエリ」という絵に描いている。

抉り取られるような痛みと激情があふれるような「陽の死んだ日」に比べると、圧倒的に静かな喪失感のようなものが感じられるけど、
それでも淡くてコントラストの低い世界の中で長女のお骨とそのお骨を持つ長男の明暗の差はやはり「陽の死んだ日」に通じるものがあるように思う。

若い頃は「野獣派」にカテゴライズされる「陽の死んだ日」のような絵を描いていた彼は、やがて「ヤキバノカエリ」のようなシンプルな絵を描き始め、晩年はひたすら庭の虫や花を題材に殆ど子どもの書くような絵になっていった。
彼は、上手であるという事は先が見えていて行き先も分かってしまうけど、下手であることはどうなるか分からないしスケールが大きい。という意味のことをインタビューで答えていた。
そして常々「上手い絵を書こうとは思わない」と言っていたとおり、晩年の彼の絵は自らの絵を「下手も絵のうち」と表現するほどに極限までシンプルに削り取ってゆくわけである。

考えてみれば、絵を描くことしか出来なかった彼が絵を描くことが出来ずに子どもを死なせてしまい、殆ど画壇に属さずアウトサイダーであり続け、誰から見ても野心も競争心も虚栄心も感じられず、やっと晩年に認められながらも文化勲章も勲三等も辞退するという、とても不器用な生き方しか出来なかった。
彼の生き方は上手く立ち回った他の画家たちに比べてとても下手だったといえるだろう。
後に彼は「仙人」と呼ばれるような隠遁者のような静かな生活を手に入れて晩年をすごすわけであるが、
彼が目指した「下手も絵のうち」の画風は自らの下手な生き方を「下手も人生のうち」として肯定する1つの試みであった。とも言えるかもしれない。

芥川龍之介の短編に、画家が地獄絵図の屏風絵を完成させるために溺愛していた我が娘が牛車に乗ったまま焼け死ぬ様を描く『地獄変』なる物語がある。
その画家良秀は絵を完成させた後に自ら死を選ぶわけだけど、
同じく何も出来ずに死なせてしまった子どもたちを描いた熊谷守一は97歳まで生きて天寿を全うした。
彼が自ら背負った業に押しつぶされることなく、また決して自らその業を自分もろとも投げ捨ててしまうことなく「下手も人生のうち」として人生を生き抜いたところに彼の偉大さがあるように思う。

このエントリーを書くために熊谷守一の事をネットで調べていたのだが、色々な切り口はあれど、ある程度方向性は同じものが多い中、
1つのビジネス雑誌系のサイトで「長生きするってすごい!97歳まで生きて、最後まで裸婦を描く」というあまりにも脂ぎったタイトルで他のものとはまったく違う毛色で熊谷守一のことを紹介している記事があってとても驚いた。
アカウントを取得してログインすると続きを読めるタイプの記事だったので続きは全く読んでいないけど、なんとなくどういう読者層に対するどういう記事なのかは予測できるような気がする。
そんなもんわざわざ熊谷守一なんかを紹介するんじゃなくってアンチャン藤田嗣治でも特集した方がええんちがうか?

なんというか、人は自分の理解したいようにしか他人を理解しないというのがつくづく分かった。
たぶん私も熊谷守一のことを自分の理解したいようにしているのだろうな。そして色々な人も同様に。

  

2015年10月26日

ブログを気分的にリニューアルする

「降りかかって来た」と見えるものを後から見てみれば、ゆっくりと段階を踏んで着実に積み上げられ、そしてそれが必然的に崩れたものである事がよく分かるし、
断ち切られたかに見える時間の繋がりも、よく見れば徐々に細くなってやがて切れてしまったものだという事が理解できよう。
マクロ的に突発的な災害に見えるものは、ミクロ的に見ればいくらでも予測も回避も可能だった予見可能なものであったという事になる。
そして、何かが切れ、何かが崩れ、何かが終わるということを、肯定的に一般論で言えば、そこを区切りとした何かの始点であると解釈することも出来るわけだ。

とはいえ「区切り」というものを連続性を断ち切った1つの印として肯定的にとらえようとしても、どう見ても連続性の中の特定の一点を指し示す単なるマーカーにしか見えないこともある。
全体を大いなる発展と進歩と繁栄の歴史だと捉えると、何かの区切りは新しい連続性の始まりの合図であり、
全体を大いなる切断と崩壊と終了の歴史だと捉えると、新しい何かが始まりはただの一通過点で過ぎない事になる。
結局のところそれは見る者、そこにいる者の歴史観であったり未来感の問題になってくる。

「未来を予測する最善の方法は、それを創造することだ」
というアラン・ケイの言葉があるけど、破滅的終末論的な史観でもって未来を見るということは、破滅を創り出そうとしている事になるのだろうか。

ちょっと新しい事を始めたい、と思いながら数週間ほど経ったけど、結局特に何も思いつかなかった。
とりあえず、このブログのどこかしらでも変えてみようかと思い、ブログの全コンテンツを消してゼロから始めようかと思ったけど、やっぱり勿体無くて出来なかった。
色々なものが移り変わる中、このブログの中に含まれるものはあまりにも古臭い。

そもそも、ブログという形態自体がすでに古臭いのだ。
それでも少し微妙なとここを変えてみた。
気分的にこのブログもリニューアルだな。

2015年10月12日

マグリット展@京都市美術館 / 世界の綻びを押さえる

終わってしまった展覧会の感想を書くシリーズ、今回は今日で京都市美術館での会期が終了してしまった「マグリット展」だー

マグリット展

ルネ・マグリットは20世紀初頭に(正確には1898年やけど)ベルギーに生まれた、向精神薬の販促ポスターのような絵でお馴染みの、いわゆるシュールレアリスムに分類される画家である。

 

 
まぁこんな感じで、観ていると、何時も過ごしている日常が実は見えないところで歪んできているような、なんだか自分の日常の恒常性の土台が緩んでくるような不安が這い登ってくる気がする。
単に常識と知覚の裏をかくような騙し絵的な面白さだけでなく、そこに張り詰めたような不安と脆さと不安定さが同居するところがジワジワ来るわけですな。

こんな絵を描くマグリットであるけど、当然最初からこういう絵を描いていたわけではなく、当初はグラフィックデザイナーやポスターといったイラストレータ的な仕事をしていた。
彼がシュールレアリスムに転じたのは、キリコの「愛の歌」を見て衝撃を受け「キリコはどのようにして描くかではなく、なにを描くかについて理解している画家だ」とか言ったのがきっかけであるらしい。
極端に一般化して言うと、それまでの絵画、つまり、まず聖であったり美であったり恐怖であったり醜であるといったようなテーマとしてすでに決定されている何らかの対象を「どのように描くか」で勝負する描き方から、マグリットは「なにを描くか」ということそのものをテーマとする方向に転換したともいえるわけである。

で、そういうマグリットは一体なにを描いていたのか?
かなりうろ覚えやけどこの展覧会の解説で、マグリットの言葉として、私にとって絵とは常に世界から問われ続けている問題に対するひとつの回答の提示である。たとえばリンゴ、椅子、空、などが常にその存在の意味を強く私に問いかけてくるのだ。というような意味のことが書いてあった。
普段我々は日常的に暮らしている世界で、マグリットのようにリンゴやら椅子やら空に意味を捜したりすることなんかほとんど無いし、ましてやそれらからその存在の意味を問われたりすることなど無いだろう。
自分に関わるあらゆることに意味を求めだすという状態は、どちらかというと統合失調症的な状態、たとえば目の前を横切る車のナンバープレートの数字に、テレビのニュースに、今日の天気に、何か大きなものから自分に対するメッセージや意図やほのめかしを見出そうとするような状況に近いように思う。
実際に「目に映るすべてのものはメッセージ」という状況を想像してみるとメッセージを受け取るだけで精一杯で、世界に安らぎなんか無いような気がしてきますな。

これはマグリットがどういう風に世界を捉えていたのか、そして何を描こうとしていたのかという一端をとても表しているように思える。
マグリットにとって世界は常に自分にその存在の意味を問いかける場であり、彼は絵を描くことでその問いに答え続けてきた。とも言えるわけで、
彼は生涯を一銀行員として、幼馴染の妻と添い遂げて過ごし、待ち合わせの時間には遅れずに現われ、夜10時には就寝し、絵の創作についてもアトリエを持たず食堂で行い、決して服を汚したり床に絵具をこぼしたりすることはなく、「芸術家」でイメージされるのと正反対の可能な限りの几帳面さを維持しつつ慎ましく生活していたわけだけど、一方で彼は13歳の時に母を入水自殺で失うという経験もしている。
端的に言って、彼が可能な限りの秩序と幸せを維持して生きていた世界は、一方で母が突然自殺してしまうような世界でもあるわけである。

彼が、美しく平穏に秩序だって見える世界が実は裏を返せば混沌と不条理に満ちており、ちょっと油断すればそんなものが世界の裂け目から噴出してくるのではないかといったような印象を持っても当然であるように思えるし、彼が秩序と理解の彼方を行く世界を描きつつ、実際の彼は完全なる秩序を保った暮らしをしていたという事実は、彼は彼なりに世界の秩序を維持しようと努力していたような印象すら受ける。

言うまでもなく、いくら世界が美しく秩序だって平穏に見えたとしても、その背後に醜くて混沌とした不条理の世界が表裏の関係のように隠れているのだろう。
そんな世界の中でマグリットが彼なりの戦いを繰り広げていた事が分かるような気がするし、彼は世界という見えない敵と戦いながら、その謎を暴露しつつ、そしてその綻びを必死に押さえていたのかもしれない。

この展覧会には彼の描いた実にさまざまなシュールレアリスム的な絵が沢山あったけど、私はこの「出現」という絵が一番グッと来た。
彼が良く描く「青空」の世界を表、あるいは日常の側だとしたら、このカラフルな鎖が浮かぶ暗雲立ち込める世界は一体どこなのだろう?そして何が「出現」しているのだろう?

見ているとなんかこう胸を締め付けられるような感じがしますな。

  

2015年10月10日

猫パンチが暴力に見えないように、雑草は遷移する。

今年もノーベル残念賞だった村上春樹の初期の作品を先日から読んでおり、今は『羊をめぐる冒険』の終盤に差し掛かったところ。

村上春樹はこの『羊をめぐる冒険』の続編である『ダンス・ダンス・ダンス』あたりから失ったものやら隠されているものやらを「取り戻す物語」にシフトしてゆくような印象を私は持っており、彼がノーベル文学賞候補になるほどに評価されているのも、どちらかと言えばこの「取り戻す物語」の方向性であるように思える。

このノーベル文学賞候補としての村上春樹とあまり関わりのないようにみなされる、いわゆる初期三部作、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』は「僕」と「鼠」が20代の10年ほどのあいだの「喪失の物語」と言い切ってしまってもいいだろうと思う。
この三部作ごとに「僕」と「鼠」は色々なものを失い続けてゆき、三部作の最後で「鼠」自身の存在が失われることでその「喪失」は完成するわけである。

とは言っても、「鼠」と「僕」より遥かに年上になったせいか、昔はやたらとシンパシーを抱いたはずの彼らの「喪失」がそれほど身に染みてくる事はない。
『1973年のピンボール』で鼠の苦労に対して「もっともそれはどう眺めまわしても苦労といった類のものではなかった。メロンが野菜に見えないのと同じことだ。」って書いてあったけど、
彼らの「喪失」があまり「喪失」と呼べるほどのものに見えなくなっている自分に笑える。
村上春樹風に言えば猫パンチが暴力に見えないのと同じことだな。

ふとこのブログでこの本の感想について書いたことがあるのだろうかと思って検索してみると、2006年8月17日に該当するエントリーがあった。
内容がどうこうというよりも、それが今から9年前のエントリーであると言う事に本当にびっくりした。

この9年の自分自身の変わらなさを冷静に考えると暗澹たる気持ちになるけど、それでもそれなりに、私も成長したような気もしないでもない。
それは道端に捨てられた観葉植物が枯れ、その植木鉢に生える雑草の植物相が遷移してゆく程度のものであるかもしれないけど。

  

2015年10月7日

ポール・オースター『最後の物たちの国で』/絶望のひとつの形

かなり昔に読んで圧倒的に強烈な印象を受けて何度も読み返そうと思っていたにも拘らず、あまりにも絶望的な内容を読むのが辛くて気が乗らず、一回しか読み直していないポール・オースター『最後の物たちの国で』を久しぶりに読み返してみた。

内容は中上流階級の主人公アンナが、記者の兄が取材のために入って消息を立った国に単身乗り込むが、あらゆる秩序と未来が消えたその町で兄を探すことも帰ることも出来なくなり、野宿やら居候やらをしながら、ひたすらサバイバルしてゆく様を書簡形式で綴ったものである。

「個人」が完全に否定されてないがしろにされる絶望的な世界は実に様々な形を取りうる。
ある場合は世界秩序が根本から崩壊し、ある場合は巨大な規模の破壊的なパンデミックで、ある場合は完全な管理社会が構築される事で絶望が世界を覆う。

しかしこの物語は、北斗の拳的なヒャッハー!な世界でも、コインロッカーベイビーズのようなダチュラな世界でも、1984のようなビッグ・ブラザーな世界ともまったく違う、ジワジワ忍び寄ってくるような絶望に取り囲まれた世界が描かれる。
以前読んだ時はあまりにも現実離れした近未来的なディストピアな世界であるように感じたけど、久しぶりに読んだ今回はソマリアや南スーダンといった失敗国家のさらに進んだ形に思えた。
ポール・オースタはこの作品を「20世紀の現代の寓話」であるとみなしていたけど、21世紀の今となってみればそれはまさにすぐそこにでも起こりそうな現実的な物語なのだ。

医療、電気、水道、通信といったインフラが失われ、あらゆるものが、人から物から概念から記憶まで、道路すら瓦礫とごみに埋もれることで日々消えてゆき、警察は利権をむさぼり、産業や社会が停止して日常的な略奪、暴行、殺人に取り囲まれて全体がスラム化した街で殆どの人は路上で寝泊りして何かを拾うか盗むかしながら日々を生きている。
人は死ぬばかりで誰も生まれてこないけど、なぜか人は減らずどこからか補充されているように思える。
この街に来るまでは何一つ不自由の無い人生を送っていたはずの主人公は生き残るためにありとあらゆるもの、プライドから記憶から人間的感情から性別まで、最後には自分をも捨てることでゴミを拾いながら生き残りながらも、ほんの少し得る事の出来たささやかなものはそれ以上に損なわれ失われる。
本の中に描かれる物語は思いつく限り絶望的に展開し、主人公はそれに輪をかけて絶望的な状態に追い込まれてゆく。

色々な物語で「個人」を押しつぶす「絶望」を象徴するものは圧倒的な「暴力」であったり、逃れる事の出来ない「パンデミック」であったり、すべてを観て強制し管理する「目」であった。
しかし、この本の世界で圧倒的に絶望的なものとは、無法地帯となった環境や状況、あるいは主人公を取り巻く運命であるというよりも、生きるために「今」だけに注力しなければいけないことなのだ。
何かしら現実と乖離した事、空想は勿論、まだ世界がまともだった過去の事や、いつかは報われるであろう未来の事を考えたり思い浮かべればそれだけ「今」から注意が逸れて隙が出来る。
そんな事に何かしらのエネルギーを注げば、今日を生き残るための何かしらのチャンスを逃したり、酷い場合には他人から自分の持ち物や命を奪われる事になったりもするのだ。
つまり生きる事のすべてを「今」に向けなければ生き残れない事そのものが絶望なのだ。
そしてそれは「暴力」や「パンデミック」や「目」といった外部から降りかかってくるのではなく、自分自身から湧き上がってくる物である所がさらにその「絶望」の深さを物語っているような気がする。

「絶望」があらゆるリソースを「今」に注ぎ込まざるを得ない状況を指すのだとしたら、
未来を思い描きそれに向けて歩むのは言うまでもなく一番理想的な絶望の対局にあるものとなるのはわかるけど、
そんな未来を思い描けずに現実ではない自分の持つ仮想的な世界で、或いは過ぎ去った過去の世界で生きる事を選びつつ現実で生きていけるという事はそんなに不幸な事なのでは無いのかもしれない。
それは個人的なことに限らず、国家から団体までそうであるような気がするし、
なんかこう今まで考えもしなかった「絶望」のあり方を一つ知ったような気がするのであった。

  

2015年10月6日

ベートヴェンの「嘆きの歌」はチープであることに意味がある。

先日手足口病になってとても苦しかったと言う話を書いたけど、やっと回復して普通の状態に戻ったなと思ったら気管支炎になった。

寝転ぶと痰が詰まって息が出来ないので寝ることが出来ず、辛いのに寝ることが出来ないというかなりきつい状況。
そして少しでも動くと呼吸量が増えて息苦しくてたまらないので、座ってゆっくり息をしている以外に何も出来なかった。
もう殆ど強いられた座禅みたいなものである。
二日目になってちょっと楽になったものの、やっぱり動くと辛いので座っていることしか出来ず週末の土日は二日間ほとんど寝ずに古い本を読みまくった。

以前読んだはずの村上春樹 『約束された場所で―underground 2 』でインタビューされているオウム信者に胸が痛くなるほどの親近感を抱き、長野まゆみ『テレビジョン・シティ 』で本当に本当に胸が痛くなった。

ここ最近、というかかなり前から余り昔のことを思い出すことなんかなかったけど、睡眠と呼吸が苦しい状況で昔の本を読んでいると、その本を読んでいた時の昔の感覚がよみがえって来る。
殆ど人生を諦めかけた瞬間に何かの拍子でふと浮かび上がったものの、まだその幸運が信じられずその諦めの残滓が残っているような、そんなあの感覚だ。

大抵の人がそうであるように、私にとっても特定の音楽や本はある特定の場所や状況や人に密接に関連付けられており、呼吸困難と寝不足といった肉体的に追い込まれた状態で読んだ昔の本がそんな感覚を呼び戻したのだろう。
半ばそんな感覚の残ったままで、ちょうどそんな時代に私が大好きになり、それから今までずっと世の中で最も美しいもののひとつだと思い続けているベートヴェンのピアノソナタの31番と32番を、今日は真正面から没頭してひたすら聴いていた。こんなに必死に没頭して音楽を聴いたのは本当に久しぶりだ。

ちょっと細かい話になるけど、この31番の第三楽章の冒頭の後とフーガーの後にワーグナーに絶賛されたという、いわゆる「嘆きの歌」と呼ばれる旋律の部分があるのだが、全体としての同曲の余りの美しさに引き換え、この部分は余りにも感情的で大げさ過ぎてチープに感じられて、昔から「嘆きの歌がなければ完璧なのに」などと思っていた。
しかし、今日改めてじっくり聞いた時に、これは逆にこう「チープでありきたり」であるからこそ意味があるのだとふと思った。
本人にとってどれだけ絶望的な嘆きであったとしても、それをはたから見れば大抵は感情的でチープでありきたりな物語にしか見えないものだ。
我々にとってそれがどれだけの嘆きであったとしても、それは全体としてチープでどこにでもあるような嘆きでしかない。
それは自分自身から特殊性や特別性を奪うものであるかもしれないけど、更に突き抜けてしまえばひとつの救いになるかもしれない。

そう考えると今まで気に入らなかった「嘆きの歌」がとても愛おしいものに感じられる。25年ほどこの曲を聴き続けているけど、今になって捉え方がガラッと変わるとは自分でもびっくりである。

この31番と32番はあらゆる辛酸を舐め苦しみぬいた晩年のベートーヴェンが若いころのように運命や苦悩に対峙して抗ったり反抗せず、自分のあらゆる状態を受け入れて昇華してしまうような美しさがある、というような感じの事を一般的には言われるわけであるけど、そんなベートーベンの苦悩ですらチープでありきたりのものであるならば、我々のものなどいかほどのものであろうか。
とそんなことを思った病み上がりの月曜日であった。

2015年9月25日

苦行と首里城とネオンカラー

先日またここにブログを書いてゆきたいなと書いた次の日から39度を超える熱が出て二日寝込んだ。
熱がひいたと思ったら手のひらと足の裏に出来ていた湿疹が増殖して痛み始め、その夜には寝れないほどになってきた。
症状と状況からほぼ手足口病だと推定、連休中なのでどの病院にも行けず、ほぼ痛みがなくなった罹患6日後の今日に病院で手足口病と確定。

今までかかってきた病気の中でワースト3に入るのキツさの病状ではなかったかと思う。
熱の辛さも最初は辛かったけど、一番辛かったのはなんと言っても手のひらの痛み。
最初は痒い程度だったけど、痒くなり始めた日の夜には手の上で火が燃えているような痛みになって来て、ずっと保冷剤か氷を入れたジップロックを握り締めていた。

痛くてまともに箸も握れないどころかパンツを下ろすのすらとてつもない激痛がが!

もう状況としてはこんな感じで、手の平がジャギ状態だ!

寝る時でも布団の中から手を出して氷ジップロックを載せていたのだが、結局そんな状態では寝られず、二日目の夜に色々諦めた。
結局痛みから逃れられないのならいっそ真正面からその痛みと向き合ってみようと思い立ったのである。

布団の中に寝転び、布団から出した両手のひらの手の痛みだけにひたすら意識を集中して、この痛みは何に近いだろうか、この痛みは私にとってなんだろうかとか痛みに関するあらゆることに思いを巡らせているとだんだん自分がおかしくなってくるのがよくわかる。
コルコバードのキリスト像のポーズで焼け付く両手の痛みに対して全面的に身を委ねている自分を想像して「アッシジのフランシスコかよ 」と自分に突っ込みつつも、
ひたすら痛みに没頭してその痛みについて考えているといつの間にか「幻視」としか言えないようなものが閉じた目に浮かび上がってくる。
ハレーションを起こすほどに目を射る中国風の神殿の原色の内部装飾とか、風景に溶け出すかのような鮮やかさのネオンカラーの小物の並んだ棚とかが映画の長回しのように見え来た。
見えてきた時は純粋に綺麗でほへーと見とれていたのだが、後々考えると色々アブナかったような気がする。

むやみに痛みに耐えて幻視まで見るとかどう考えても色々おかしいような気もするけど、
それでも考えてみれば、私が幻視のようなものを見たのは、苦行に勤しむインドのサドゥーがシヴァ神を見たり、日本の密教系苦行僧が行の中で観音菩薩を見たりするようなのと同じ原理であるなような気がする。
つまり、現に見たことのあるものではなく、見たいと望むものが見えてくるのだ。

ということで、私が見たいと望んでいるものがこの手足口病によって判明したわけである。
中国風の神殿の原色の内部装飾は多分「首里城」、そしてネオンカラーの小物の並んだ棚とかはなんかこうパステルに染まらず媚びないPOPな風な雑貨屋だ。

そうか、私は沖縄に行って首里城を見て回り、どこぞの雑貨屋でネオンカラーな小物を物色したいと。
うん。思ったよりスイーツなオチになったなぁ。
両手両足と口周りと額が赤くまだらになったオッサンやけど。

2015年9月19日

Multicast rather than broadcast.

皆様お久しぶりです。

気付けばもうほとんど一年ぶりのエントリーとはびっくりです。

この一年はひたすら「ingress」なるゲームに没頭していてここに何かを投稿しようという気がおきませんでした。

一時期はほとんど毎日書いていたこのブログも、ある時期を境に投稿が滞りがちになり、この一年間はまったく書かなかったわけですが、再び何か書きたいという気になったのは、特定の「事」や「物」について書きたくなったというよりもむしろ、ここを読むかも知れないある「人」に対して語りかけたくなったからのような気がします。ある友人が「何の努力もせずに保たれる諸々の関係や集団はない」というような意味のことを言っているのを聞いて(正確には書いているのを読んで)、私は何の努力もせずに保たれる関係や集団こそ意味がある。と自分自身が思っていたことに気付きました。
特に自分を取り繕おうと意識しなくても良好な関係が気付けたり楽しかったりする人たちこそ本来的に私に関係のある人で、そうでない人は限定的にある種の関係の繋がりがあるだけに過ぎないのだと。

一方で、現在直接その人と関わりが無くても、その人の言っていることや書いていることや作っているものを見ることでその人との関係が一方的ではあっても私の中に感じられるということは良くあります。
これは私の側は特に何の努力もしていないけれど、その人の何かを書いたり言ったり作ったりという努力によって保たれている関係ということになるでしょうか。
それは私がここに何かを書くという小さな事1つだけでも、それを読んだ誰かが私に対する関係性を感じてくれる可能性があるということになるでしょうし、
更に言えば、私が明確に誰かに向けて何かを書き、その誰かが私の書いたことを読んでくれれば、直接的な関係はなかったとしても、それはもう双方向的な関係性のひとつの形となるような気がします。

ということで、久しぶりにまたブログを書いてゆきたいなと思ったのでした。
また引き続きお付き合いください。

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